【藤田 田遺志伝承】福原裕一「日本マクドナルドで人材育成の大切さを学んだことが起業成功の要因でした」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【藤田 田遺志伝承】福原裕一「日本マクドナルドで人材育成の大切さを学んだことが起業成功の要因でした」

◼︎プロ野球選手から経営者への夢

 福原は1965年4月生まれ、神奈川県横浜市出身。父はタクシーの運転手、母は専業主婦。3人きょうだい(姉2人)の末っ子。小学6年生のとき両親が離婚。中学時代、野球選手として頭角を現した。千葉県の市立銚子高校に野球推薦で入学。奨学金を受けた。2年生の秋、ショート1番バッターでキャプテンに就任。3年生のとき夏の甲子園大会を目指すが、ベスト4で敗退した。野球推薦による大学進学の道もあったが断念、プロ野球選手の夢も諦めた。

夏の甲子園出場もある名門、市立銚子高校野球部で2番でショートを守り、またチームの主将を務める。最後の夏は千葉県大会ベスト4に終わった。

 

 その後個人経営の小さなラーメン屋でアルバイト、皿洗いから始めてチャーハン、ラーメン作りなどを任された。客から「おいしかった。また来るよ!」と言われるのが楽しくて、できればラーメン屋で働き、将来ラーメン屋を経営したいと思った。だが、母の反対もあり高校を卒業して1984年4月花王石鹸(現・花王)に入社した。千葉県船橋市西船橋の三畳一間の寮に住み東京・墨田区亀戸の東京工場(現・すみだ事業場)に総武線で電車通勤した。仕事は工場のラインオペレーター。入社当時給料は手取り12万円とボーナスだった。

1984年高校を卒業した福原は「ラーメン屋をやりたい!」思いを胸に、母の反対を踏まえ、一度は大企業の「花王」のすみだ事業場にラインオペレーターとして務めた。

 

 福原はこの収入の中から奨学金を返還、母へ仕送りをし、一方では天引きの財形貯蓄などに励み、約3年4ヵ月の勤務で約300万円貯金したという。しかし、工場でのラインオペレーターの仕事は退屈で、読書に活路を求めた。入社して間もない19歳のとき、永遠のベストセラーであるナポレオン・ヒル著の『成功哲学 やる気と自信がわいてくる』を熟読した。そして富を築き成功するためには「願望」「信念」「専門知識」「計画の組織化」「協力者」などが必要であることを学んだ。福原はこれを引き金に、経営者の成功物語や金儲けの本を次々に読んだ。

 そんな中で藤田田著『頭の悪い奴は損をする』(新装版『頭のいい奴のマネをしろ』2019年復刊)を読んだ。「儲けの敵は固定観念だ」「“スマイル”こそ金儲けの原理原則だ」「まずタネ銭を作れ」「人間養成が金儲けの秘訣だ」「ツキを呼ぶ人間とつきあえ」――全110項目からなるユダヤ流の「人生&金儲け哲学」は示唆に富んでいた。人生観が変わる」ほど衝撃を受けたのである。

◼︎福原の経営の師匠——藤田田とは何者か

日本マクドナルド創業者の藤田田

 

 ちなみに藤田は旧制北野中学、旧制松江高校を経て1948年(昭和23年)に東大法学部に入学、その年GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の試験を受けて合格、通訳のアルバイトを始めた。ユダヤ人のGI(アメリカ兵の俗称)と仲良くなり、ユダヤ商法を学んだ。ユダヤ人脈を武器に、在学中の1950年(昭和25年)に貿易商社「藤田商店」を設立、海外から雑貨などの輸入販売を始めた。翌1951年、25歳で東大法学部卒業。外交官になる夢を捨て、ベンチャー企業・藤田商店の仕事に取り組んだ。ユダヤ商人のネットワークを活用、得意の英会話力を駆使して海外からいち早く雑貨のブランド品やダイヤモンドなどを輸入、銀座三越など百貨店に卸し、好業績を上げた。藤田は米国の企業との取引きでは高価な航空便を使い、赤字になっても納期を守った。それによって、米国のユダヤ人社会に絶大な信頼を築いた。これが「藤田商店」を大成功させる要因であった。

  藤田田の名前が日本中に知れ渡ったのは1972年に『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ)を出版し、「ユダヤ商法に商品はふたつしかない。それは女と口である」と断言、口を狙った日本マクドナルドのハンバーガービジネスの成功の要因を明らかにした。これが100万部に迫るような大ヒットを記録し、藤田は戦後の混乱期の東大出の起業家として最強の成功者にのし上がった。

 福原は『頭の悪い奴は損をする』(1974年刊)に続き、『ユダヤの商法』(1972年刊)『天下取りの商法』(1983年刊)、『ユダヤ流金持ちラッパの吹き方』(1985年刊)、『超常識のマネー戦略 実践ユダヤの商法』(1986年刊)と、当時KKベストセラーズから出版されていた藤田の著書、全5冊を熟読した。藤田が最高学府の東大法学部を卒業したのにリスクの高いベンチャー企業を興したことに感心した。また世界を相手にビジネスを展開する語学力、行動力、決断力に舌を巻いた。さらに「社員に日本一の給料を払う」と大ラッパを吹くだけでなく、実行するところに、「こんな素晴らしい経営者がいるのか」と脱帽した。その結果、「日本マクドナルドに転職し経営やマネジメントを学び、将来起業したい」と考え、求人情報誌を見て中途採用試験を受けて合格、1987年9月に転職した。22歳のときのことだ。

◼︎起業と失敗と借金返済——27歳の頃

 福原は日本マクドナルドの店舗に勤務し経営を学んだ。それから2年7ヵ月、1991年25歳のとき、日本マクドナルドを辞めた。店で知り合ったバングラデシュ人のアルバイトと、旧知の友人の3人で貿易会社を興した。福原は「30歳までは何事も経験。ボロボロの人生でも構わない」と腹をくくったという。この際、福原はバングラデシュを訪ねた。当時バングラデシュ(1971年パキスタンから独立)は貧困国の一つ。国民の約9割がイスラム教徒であった。当初、同国から養殖エビを輸入販売し、日本から家電などを輸出販売するという計画だった。資本金300万円。折しもバブルが崩壊するタイミングの悪い時だった。最大の問題は公用語である英会話も全くできず、輸出・輸入にかかわる通関書類作成など貿易実務のことを全く知らなかったことだ。商社や小売店に営業をかけたが相手にされなかった。そんな状況が続き、経営はすぐに行き詰まった。やがて高利の消費者ローンから借金するようになり2年足らずで借金は約500万円に膨れ上がった。結局“矢折れ刀尽きて”会社を休眠させた。1992年27歳のときのことだ。  

 福原はこの逆境で真価を発揮した。まず額面月収30万円の損害保険会社に勤務した。歩合制で営業でも稼げる条件だった。やがてそれだけでは追いつかず、夜の10時から朝5時までカラオケ店でアルバイトした。1日18時間労働を課し、平均睡眠時間2、3時間という過酷な生活を送った。短時間で熟睡できるというタイトルの本を買ってきて睡眠の仕方を工夫した。こうして年収で約400万円稼ぎ、毎月13万円近く返済し2年ほどで借金300万円を返した。「この時期が一番きつかった」と福原は振り返る。

◼︎地下鉄サリン事件の衝撃

 借金返しのメドが立った1995年初春、福原は友人と二人で那須高原のスキー場に遊びに出かけた。スノーボードでジャンプし着地に失敗、足の付け根を痛めた。帰宅して病院で診断を受けると、大腿骨骨折で1ヵ月の入院を余儀なくされた。福原は「将来必ず再起して成功したい」と思っていたが、この入院は予想外のことで生活の歯車が狂い、どん底に落ち込んだ。そんな福原を驚愕させたのが、「地下鉄サリン事件」だった。95年3月20日月曜日の朝、オウム真理教が日比谷線、丸ノ内線、千代田線の計5車両に毒ガスのサリンをばらまき同時多発、無差別テロ事件を起こした。重軽傷者6000人、死者13人という未曽有の大惨事で、日本中に激震が走った。福原は朝8時過ぎ、病室のテレビで事件の惨状を見ていて、強烈な危機感を覚えた。

  「何の罪もない善良な人たちが、理由もわからずに突然殺された。一寸先は闇だというけれど、人生何が起こるか先のことは本当にわからない。俺はこのままでは決して終われない。たった一度の人生、もう一度自分自身の可能性に賭けたい!」

 福原はこのテロ事件を契機に自分の来し方行く末を真剣に考えた。そんな中で思い浮かんだのが高校時代、小さなラーメン屋でアルバイトし皿洗いから始めてチャーハン、ラーメン作りまで任されたことだ。顧客から「おいしかったよ!」と褒められて、うれしかったことを思い出した。次に福原は日本マクドナルドの店舗でハンバーガーを一生懸命売っていたときの充実感を想い起こした。そんな中で「自分が本当に好きな仕事、やりたい仕事は飲食業であった」と気づいた。「飲食業で独立開業しよう」と決めると、情報収集に努めた。「なるべく短期間でノウハウが学べ、小資本で独立開業できる飲食業がよい」と飲食店経営者の本を読んだ。そんな中の1冊に、「やきとり大吉」を展開するダイキチシステム社長の辻成晃が著した『理屈をいうなだまって儲けろ!-「大吉式」小資本・金儲けノウハウ』(旭屋書店 1994年刊)があった。

 辻は1977年ダイキチシステムを創業、「生業に徹する」を理念に直営店や法人店舖を一切作らず、個人店とチェーン店を融合したシステムを構築した。本部指定の店舗で3ヵ月間研修を受け、低資金の150万円の加盟金で本部が所有する店舗、すなわち家賃の安い3流立地の店舗(平均10坪20席)を借り受けて、夫婦で独立開業できるようなビジネスモデルである。低資金で一国一城の主になれるとあって非常に人気で、脱サラして独立開業する人などがFCに加盟した。一時期は全国に1000店舗を超えるときもあったが、2019年度で全国に約700店舗展開している。「やきとり大吉」には独立心旺盛なチャレンジャーが集まった。実際、「やきとり大吉」で5~6年FC加盟オーナーを務めた後、自ら独立して店舗展開する起業家が多いのが特徴だ。

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中村 芳平

なかむら よしへい

外食ジャーナリスト

外食ジャーナリスト。1947年、群馬県生まれ。実家は「地酒の宿 中村屋」。早稲田大学第一文学部卒。流通業界、編集プロダクション勤務、『週刊サンケイ』の契約記者などを経てフリーに。1985年学研のビジネス誌『活性』(A5判、廃刊)に、藤田田の旧制松江高等学校時代の同級生を中心に7~8人にインタビュー、「証言 芽吹く商才 人生はカネやでーッ! これがなかったら何もできゃあせんよ」を6ページ書いた。これがきっかけで1991年夏、「日本マクドナルド20年史」に広報部から依頼されて、藤田田に2時間近くインタビューし、「藤田田物語」を400字約40枚寄稿した。今回、KKベストセラーズの「藤田田復刊プロジェクト」で新しく取材し、大幅に加筆修正、400字約80枚の原稿に倍増させた。タイトルを「藤田田 伝」と改めて、『頭のいい奴のマネをしろ』『金持ちだけが持つ超発想』『ビジネス脳のつくりかた』『クレイジーな戦略論』の4冊に分けて再収録した。現在、外食企業経営者にインタビュー、日刊ゲンダイ、ネット媒体「東洋経済オンライン」「フードスタジアム」などに外食モノを連載している。著書に『笑ってまかせなはれ グルメ杵屋社長 椋本彦之の「人作り」奮闘物語』(日経BP社)、『キリンビールの大逆襲 麒麟 淡麗〈生〉が市場を変えた!』(日刊工業新聞社)、新刊にイースト新書『居酒屋チェーン戦国史』などがある。

 

 

 

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