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往来で下着が脱げた! その時遊女がとった大胆な振る舞いとは?

江戸の性 第79回

イラスト/フォトライブラリー

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 仲の町は吉原の中央部をまっすぐにつらぬく大通りである。通りの名称であり、町名ではない。この仲の町の両側には引手茶屋と呼ばれる、客を妓楼に案内する茶屋が軒を並べていた。

 享保三年(1718)正月元日、三浦屋の遊女が引手茶屋に新年の挨拶をするため、多くの供を引き連れて仲の町を歩いていた。

 当時の女の下着は、素人も玄人も湯文字(腰巻)と呼ばれる、布を腰に巻きつけただけのものである。どうしたことか、遊女の湯文字を結んだ紐がほどけ、着物の裾からたれて引きずっている。

 あとに続く遣手、若い者、下級の遊女、禿まで紐に気づいたが、大通りを歩いているだけにどうしようもない。みなハラハラしながら、「早く引手茶屋についてほしい。茶屋の表の床几(しょうぎ)に腰をかけたときに知らせよう」と思っていた。

 ところが、ある引手茶屋の前まで来たとき、ついに紐のほどけた緋縮緬の湯文字が地面に落ちた。そのまま歩き続けると大通りに湯文字を落としたままになる。遊女はさりげなく上に着た豪華な打掛を脱ぐと、湯文字の上にはらりと落とした。そのまま、なにごともなかったかのように歩き続ける。

 遣手の女がさっとかがみ、打掛で包み込むようにして湯文字を拾いあげた。

 こうして、遊女は大恥をかくどころか、その機転と大胆な振る舞いが評判になり、人気が高まった。

『東都一流江戸節根元集』に拠ったが、吉原に「太夫」と呼ばれる最高級の遊女がいたころの話である。上記の遊女はおそらく三浦屋の太夫であろう。

 当時の吉原の太夫は、いまでいうところのセレブと女優を合わせたような、

男たちのあこがれの存在だった。年季の明けた太夫を妻に迎えること、あるいは年季途中の太夫を身請けすることは、男の最大の見栄だった。

 男たちは、妻の前身を隠すどころか、「女房は吉原の太夫だった」と自慢した。人々もまた、「やはり太夫だっただけはある。気品と色気があるね」と感心し、うらやましがった。

 ところが、宝暦年間(1751~64)に太夫の称号は廃止された。現在刊行されている時代小説にもしばしば吉原は登場するが、たいてい文化文政期か天保のころが舞台である。ということは、もっぱら時代小説や時代劇に描かれる吉原には、すでに太夫は存在しなかったことになる。

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永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


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