理性を疑え!

 ニーチェは人間は健康であるべきだと考えた。
 しかし、今の人間は不健康である。
 キリスト教およびそこから派生した近代思想により考え方が歪んでいるからだ。
 ニーチェは言う。

❝現代人の批判。――「善人」とは、劣悪な制度(圧制者や僧侶)によって頽廃され誘惑された者にすぎない、――権威としての理性、――誤謬の超克としての歴史、――進歩としての未来、キリスト教的国家(「軍隊の神」)、――キリスト教的性生活(ないしは結婚)、――「公正」の国(「人間性」の崇拝)、――自由。(同前)
今日最も深く攻撃されているもの、それは伝統の本能と意志とである。この本能にその起源を負うすべての制度は、現代精神の趣味に反するのである。❞ (同前)

 ニーチェは「伝統の本能と意志」について語ります。
 神は本来、民族の価値を投影したものだった。自分自身を信じている民族は、自分たちの神を持つ。民族は、自分たちの成功、運命、季節が巡ってくること、農業や牧畜の成功などを「神」に感謝し、自分たちの生長と健康を祝った。そこにあるのは自己肯定の感情です。そこには先祖に対する畏敬の念と恐怖も含まれる。これは、とても健康的な感情です。
 もちろん、ニーチェは「民族の神」もフィクションだと考えている。しかし、それは健全なフィクションであり、民族がよりよく生きるための技術なのです。
 民族は経験により得てきたものを守ろうとする。そして、それを「実験」にかけることを嫌う。その正統性の根拠は、時間にある。
 法は「厳重に篩(ふるい)にかけられた巨大な経験」によって証明される。

❝国家制度は「すなわち、伝統への、権威への、向こう数千年間の責任への、未来にも過去にも無限にわたる世代連鎖の連帯性への意志がなければならないのである」。❞(『偶像の黄昏』)

 ニーチェは嘆く。

❝また、〈近代的理念〉というものに寄せる愚にもつかぬたわいない妄信のなかに、いなさらには全キリスト教的ヨーロッパ道徳のなかに隠されている宿業を推知した者、こうした者たちは、じつに比類を絶した懸念に悩まされるのだ。❞(『善悪の彼岸』)

 こうしたニーチェを単なる価値の破壊者と見るのは悪い冗談だ。
 理性を疑わない傲慢な思考が野蛮を生み出すのである。
 ニーチェは「理性を疑え」と言った。
 「人間理性に懐疑的であるのが保守」です。

【最新刊『安倍でもわかる保守思想入門』より構成】