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なぜ「あの人」は反対意見を受け付けないのか。ネットとSNSの時代に告ぐ

インターネットとSNSはポピュリズムを加速させるだけなのか?

■「興味あるもの以外」に触れることが柔軟性を生む

 それでも、かつてはメディアの数が限られていたし、ニュース番組や新聞が取り上げる話題もある程度共通していたから、人々の間で情報が共有されることで、共通の体験が存在していた。
 また、ニュース番組や新聞では、自分が興味のあるもの以外の話題に触れる機会も多かった。プロ野球の試合結果を知るためにニュース番組を見ていれば、スポーツコーナーの前に外国で起きた災害の情報や国会で議論されている問題などが流されることで、野球以外の話題に触れる機会が生まれる。経済の動向をチェックするために新聞の経済面だけを見ることもあるかもしれないが、パラパラと紙面をめくっていく内に社会面に載っている事件についての記事を見て関心を持つ機会も生まれるかもしれない。
 そういった多様な情報への偶然の出会いによって、今まで気づきもしなかった視点を得て、自らの意見や立場を変えるということがある。保守的な人がリベラルに、リベラルな人が保守的に立場を変えるのは、自分から積極的に得ようとした情報に接するのではなく、異質な「他者」の主張との偶然の出会いによる場合がほとんどだろう。
 民主主義が多様な意見による議論によって成り立つものなのであれば、民主主義に参加する人は自分とは異なる主張をする人の意見に耳を傾け、場合によってはその主張に説得されて、自らの考えを変えられるような柔軟な態度が必要となる。
 テレビのニュース番組や新聞といった大きなメディアが人々にとって主な情報源となっていたかつての社会では、共有された情報、共通体験、多様で異質なものとの偶然の出会いという、民主主義に必要とされる環境がそれなりに整っていたのである。

 インターネットによるフィルタリングとカスタマイズが強化された現在の環境において、人々は自分と同じような好みを持つ者の意見だけに接するようになり、他の人と同じ話題を共有したり同じ経験をすることが少なくなった。オススメされるリンク先はそれまでの好みの傾向に基づいた似たようなものばかりなので、思いがけない「他者」との出会いの機会も失われてしまう。
 問題はそれだけではない。現在では、SNSを通して保守的な人は同じく保守的な人たちと、リベラルな人は同じくリベラルな人たちと繋がり、相互にフォローをして、情報を共有するようになるだろう。そういった同じ考えを持った集団の中では、たとえば保守的な集団の中ではより保守寄りな強い発言が、リベラルな集団の中ではより過激にリベラルな発言が多く共有され、尊ばれるようになっていく。すると、もともとは集団の中でも穏健だった人たちが感化され、極端な意見のほうへシフトしていくようになるだろう。つまり、似たような価値観を持つ人々が集団になることで、その集団の参加者は考えを過激化させていく傾向があるのだ。
 こういった過激化した人たちが、「フェイクニュース」を信じ、積極的に拡散させていく役割を担うこととなる。人は自分が信じたいと思うものを正しいと信じ、信じたくないと思うものを誤りだと信じたくなるものだ。だが、冷静な思考を保っていれば、情報の客観的な根拠を考えて嘘か本当かを判断しようともする。ところが、思考が過激化して柔軟性を失うと、自分たちの価値観が有利になり対立する者を陥れる情報であればハナから正しいと信じ込み、その反対の情報をハナから誤りだと断定するようになってしまうのだ。
 インターネットやSNSという本来開かれているはずのメディアを通して、過激な集団が生まれ、社会に分断が生じやすくなるのは、こういったことが要因となっているということが、サンスティーンの著書の主張を通して考えられる。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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