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頼朝が通っただけで伝説になる! 千葉は富津市で発見、頼朝行軍のルートに残った地名とは?

地名で掘り下げる千葉県の歴史 地名でたどる源頼朝伝説④

全国6位の人口を抱える千葉県の奥深い歴史。「地名の由来」シリーズでおなじみ谷川彰英氏の最新刊、『千葉 地名の由来を歩く』から源頼朝伝説の地をたどる。

(4)「百坂」 富津市

 頼朝一行がどのルートで千葉常胤(つねたね)の居城する亥鼻城(千葉市亥鼻)に着いたかはわかっていない。だが、面白いことを発見した。頼朝一行が通過したという坂の名前が残されているのだ。しかも、安房国から上総国を経て亥鼻城に至るまで「百坂」「三百騎坂」「千騎坂」「万騎坂」というように、頼朝軍の軍勢が北に行くにしたがって増えていくように命名されている。

 これは単なる偶然ではない。頼朝の軍勢が勢力を増していくのを目の当たりにした地元の人々が勝手につけたものと推測される。亥鼻城に近くになるにつれて「百」「三百」「千」「万」と増えていくのを見ると、頼朝軍は相当な勢いで房総の武士団を味方に引き付けていったのであろう。

 笹生浩樹氏の『房総の頼朝伝説』(冬花社)の記述だけ(それ以外にはなかった)を手掛かりに、それらの坂を探してみた。

 まず「百坂」である。これは富津市にある。JR「大貫駅」から東に岩瀬川沿いに3キロ余り入ったところに、「上」という町名になっている地域がある。何人か地元の人々に訊いてようやく「百坂谷」という谷が岩瀬川の南に南北にあり、そこにある古道が百坂だということがわかった。伝承だが、ここを移動している際はまだ頼朝軍はわずか100騎しかいなかったということになる。

▲百坂(富津市

▲たどってみた、頼朝伝説由来の地名  

【『千葉 地名の由来を歩く』より構成】

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。



 



 


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  • 谷川 彰英
  • 2016.10.08