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使うときは使う、天下人・豊臣秀吉の現金給付

季節と時節でつづる戦国おりおり第421回

 彼の軍事作戦についても、一流の経済感覚は遺憾なく発揮されている。

 彼にとっては信長麾下の部将としての最後の戦いとなった、天正十年(一五八二)の備中高松城攻めは、引率する軍勢の数約二千人(宇喜多氏の兵はカウントせず)。四月中旬に始まった戦いは六月はじめまで続き、その一ヶ月半で必要とした兵糧は、おおよそ米5400石になり、その金額は4億5000万円にのぼる。

 また、この時の秀吉軍団の構成では、鉄炮が占める割合は全体の約二割くらいであろうとされているので、鉄炮の数は四千挺。これだと、鉄炮・弾薬で17億円がかかってくる計算になる。しかも、この戦いでは、他にもっと莫大な経費が発生することになった。

 いわずと知れた「水攻め」の為の費用である。高松城の難攻不落ぶりを見た秀吉が、驚天動地のアイディアによって城の周囲に全長三キロメートルの堤を構築し、城を水攻めにすることにしたのだ。

 近在の農民たちに触れだして、土俵一俵につき米一升と銭100文を支払うことにより突貫工事に協力させ、結果として、この堤防築造に米6万3500石と銭63万5000貫をかけたといわれている。

 銭63万5000貫を高松城攻め当時の米価相場で換算すると55万石余りとなるから、米の現物支払い分と合わせて61万5000石が消費されたことがわかり、驚きの461億2500万円! が計上されてくるのだ。

 しかも、この費用は奈良という離れた土地での米価を参考にしており、実際現地では米が極端に不足していただろうから、搬送代や現地買い入れ代を考えると、もっと価格がはね上がってしまうのは明らかになってくる。

 土木作業におけるヒトとモノの集中をあっさりとやってのけてしまう秀吉、そのための金銭の一大集積をも可能にしてしまった秀吉の、面目躍如となる話ではないだろうか。

 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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