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1軍定着へ――ノムさんのプロ野球人生の岐路。「突然のチャンスをいかに物にできるか」

野村克也さん3月毎日更新 Q12.プロ3年目で1軍のレギュラーに抜擢されたきっかけは?

ついに時はきた! 3年目にして1軍レギュラーに抜擢。きっかけは開幕前のハワイキャンプ。正捕手の怪我と夜遊びが重なって……。自身の生涯を振り返った新刊『壁』を発売する野村克也氏に聞いた、“チャンス”をモノにする方法。

大きな自信につながった鶴岡監督からの褒め言葉

 1軍のレギュラーに抜擢されたきっかけは、3年目のシーズンが始まる前、1軍のハワイキャンプに参加できたことですね。ただ、前年の秋にキャッチャー復帰を果たしてはいたものの、当然ながら、まだ1軍に上げてもらえるほどの評価は受けていませんでした。

写真/高橋亘

 では、なぜ参加できたのかと言うと、キャンプでもブルペンキャッチャーが必要ということで、たまたま2軍から私が選ばれたんですよ。ブルペンキャッチャーだけではなく、グラウンドの後片付けや用具の手入れなどもする、要するに雑用係でもあったんですが、これは願ってもないチャンスでしたね。キャンプで1軍選手と一緒に練習ができますし、当時“三大監督”と呼ばれたうちの1人である鶴岡監督(他の2人は水原茂、三原脩両氏)に、私のプレーを見てもらえる可能性もあるわけですから。

 さらに、キャンプの後半から地元のチームとのオープン戦が始まると、私にとって、大きなチャンスが巡ってきたんですよ。レギュラーのキャッチャーを務めていた松井淳さんが肩を痛めたため、試合を欠場せざるを得なくなったうえ、2番手のキャッチャーが鶴岡監督から大目玉を食らい、試合に出場させてもらえなくなってしまったんです。憧れの地・ハワイに来たという観光気分から、毎晩のように繰り返していた夜遊びを知られてしまったことが原因でした。
 それに対して、安月給で、雑用の仕事にも追われていた私には、遊びに行く金も時間もなく、ハワイの宿舎でも庭で素振りを続けるぐらいの余裕しかありませんでした。そうした日本と変わらない地道な努力がよかったのか、鶴岡監督からの指名で、私にオープン戦での出番が回ってきたんですよね。

 幸い、地元のチームは日本のプロ野球で言えば2軍レベルだったので、突然のチャンスを活かすには絶好の相手でした。キャッチャーとしてだけではなく、バッティングでもヒットを連発したこともあり、その後のオープン戦も連続して先発で出場し、自分をアピールすることができたんです。
 ハワイキャンプから帰国後、心の底から驚かされることがありました。新聞に掲載された鶴岡監督のインタビュー記事を読んだんですが、そこには「ハワイキャンプでの収穫は野村に使えるメドが立ったことだ」と書かれていたんですよ。現役時代、鶴岡監督からほとんど褒められたことはないですが、このコメントは大きな自信になりましたね。

 そして、迎えたプロ3年目のシーズン、ついに私はキャッチャーとして1軍の開幕スタメンに名を連ねることができました。ライバルのキャッチャーたちのリタイアという運もありましたが、突然のチャンスが訪れたとき、いかに物にできるかどうか。以降レギュラーに定着できたことを思えば、私にとってハワイキャンプは、プロ野球人生の岐路に立たされた場所ということですね。

明日の第十三回の質問は、「Q13.プロ3年目以降は、1軍のレギュラーに定着しました。どのようなモチベーションでプレイしていましたか?」です。

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野村克也元監督 最新刊『壁』3月18日発売!

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野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


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