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ゲス不倫した武士の妻の末路とは

江戸の性 第60回

イラスト/フォトライブラリー

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 江戸時代の武士の妻はみな貞淑だったと信じている人は多い。「武士の妻はつねに懐剣をふところに忍ばせており、操(みさお)が守れないような状況になれば喉を突いて自害した」などと解説した本すらある。

 しかし、実態はかなり異なり、武士の妻にも密通は少なくなかった。そんな例が『藤岡屋日記』に書き留められている。

 嘉永の初め、五千石の旗本で火消役の松平采女の妻は三十四、五歳で、三人の子供がいた。この妻が、家来で二十歳の若侍と密通し、屋敷から二百両の金を持ち出して駆け落ちした。

 夫の松平は家来に命じて、ひそかにあちこち探索させたが、ふたりの行方はいっこうにわからない。ついにはふたりの人相書を作成し、あちこちに配布した。人相書のおかげか、ふたりは水戸藩の城下で捕えられた。

 武士の妻の密通は体面をはばかり、たいていは隠蔽された。この事件の場合は人相書を配布したため表沙汰になり、書き留められたといえよう。

 ほぼ同じころ、四千石の旗本で大坂御船手役の甲斐庄喜右衛門の妻が、足軽と密通し、大坂の役宅から駆け落ちした。しばらくして、ふたりは長州の下関で捕えられた。

 さて、連れ戻されたふたりの妻は、それぞれどのような処分を受けたか。

 俗に「重ねておいて四つにする」と言い、武士は妻が密通した場合、相手の男と妻を斬り殺したとされる。しかし、実際にはそんな処罰はほとんどなかった。たいていは、妻と離縁することで穏便な処置をした。ふたりの妻も別な理由をつけて離縁されたはずである。もし「重ねておいて四つにする」が実行されていたら、それこそ評判になり、『藤岡屋日記』に記載されていたろう。

 『よしの冊子』によると、寛政元年(1789)、下級幕臣の妻が近所の鼓(つづみ)の師匠と密通した。これを知った夫は、妻と師匠を刀で斬り捨てて成敗した。この「重ねておいて四つにする」を聞いて、人々は、「珍しき事」と評したという。武士が密通した妻と相手を成敗するなど、実際にはほとんどなかった。成敗が実行されたからこそ評判になり、『よしの冊子』に収録された。

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永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


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