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「震災以降、小説が読めなくなった」芥川賞作家・柳美里が衝撃を受けた2冊

第4回「柳美里書店の10冊」

他者の目の前から一歩も退かない意志

 東日本大震災以降、わたしは「他者とどのように向き合うか」という問いを抱え続けてきました。2012年3月16日から、臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」で「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを毎週務めています。「ふたりとひとり」では、わたしが聞き手となって、親子、兄弟、師弟、友人、同僚、夫婦、お隣さん、部活の先輩後輩、職場の上司部下などあらゆる関係のお二人の出会いから現在までの記憶を語っていただいています。今年の2月3日で第239回となり、470人以上の方にお会いしてお話を伺いました。

 地元の方と向き合う中で、わたしの支えとなったのが、エマニュエル・レヴィナスの『全体性と無限』でした。

『全体性と無限(上・下)』レヴィナス 著、熊野純彦 訳、岩波文庫

 2015年に南相馬に転居するまでは、当時暮らしていた鎌倉から南相馬に片道5時間かけて通っていたのですが、その道すがらよくページを開きました。

 レヴィナスは、1905年、ロシア帝国に属していたリトアニアのカウナスに生まれたユダヤ人です。1930年にフランスに帰化し、第二次世界大戦は通訳として軍務につきます。ドイツ軍に捕まりますが、捕虜として遇されたため、レヴィナス自身は生き延びることができました。しかし、故郷カウナスでは(カウナスは10万近い人口があり、住民の約3割がユダヤ人でした)ほとんどすべての近親者が虐殺され、ユダヤ人の共同体は消滅しました。

 レヴィナスは生涯、どんなに親しい人との間でもそのことを語らなかったし、書いて表すこともしませんでした。

『全体性と無限』は、レヴィナスが決して語ることのできない沈黙と向き合った哲学の本です。

 この本は通読することもあれば、ぱっと開いたページの1行から考えを導き出すこともあります。読み返すたびに、新たな言葉との出会いがある。

 「顔において<他者>が現前することは、際だって非暴力的なできごとである。私の自由を傷つけるのではなく、私の自由を責任へと呼びもどし、私の自由をむしろ創設するからである。」

 この一文を読むと、自分を他者のための存在として規定し直すことの重要性と、自由と責任は相反するものではないということに気付かされます。他者の顔が目の前にある位置から一歩も退かない、という意志を持ち続けるしかないのだと――。

 小説家は、自分の根幹に在る本は、他人には教えたくないものです。でも、レヴィナスの言葉なしに、今のわたしを語ることはできないのです。

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柳 美里

ゆう みり

1968年生まれ。高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザース」に入団。役者、演出助手を経て、86年、演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年、『家族シネマ』で芥川賞を受賞。著書に『フルハウス』(泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞)、『ゴールドラッシュ』(木山捷平文学賞)、『命』、『8月の果て』、『雨と夢のあとに』、『グッドバイ・ママ』、『JR上野駅公園口』、『貧乏の神様』、『ねこのおうち』、『まちあわせ』他多数。

写真/大森克己



 

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