何もなかった無名時代。マーリンズ田澤純一「野球を辞める覚悟で渡米した」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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何もなかった無名時代。マーリンズ田澤純一「野球を辞める覚悟で渡米した」

社会人時代には「クビ」とも言われた――メジャーで活躍する田澤の知られざる覚悟。独占インタビュー後編

■レスターをみて「この選手はすごい」と思った

 

――なるほど。確かにヒゲをみんなで伸ばしたりと雰囲気がいいように感じました。田澤投手はこの年、キャリアハイの71試合に登板し68回を投げて72奪三振、防御率3.16。セットアップとして重要なポジションをこなし、翌年も71試合を投げ63回64奪三振、防御率2.86。この2年はベストシーズンといえるのではないでしょうか。

田澤 成績的にはそうですね。でも実は投球フォームが一番しっくりきていたのは2012年でした。2013年も悪くはなかったですけど、2014年に関しては少し落ちていたかな、というのが正直なところです。起用法も難しくなってきていたので、この頃から精神面と肉体面の噛み合わせがうまくいかなくなってきていたというか……。

――その部分は中継ぎ投手にはいつも難しい部分ですね。

田澤 そうですね。クローザーになれば投げるのは9回だけと分かっているので、調整もある程度見えてくるんですけど中継ぎは違いますからね。でもクローザーはクローザーの難しさがあるので、どちらがいいとは言えません。与えられた役割をするだけです。

――レッドソックスで感銘を受けた選手はいましたか。

田澤 レスターはすごいと思いましたね。ピッチングというより、あれだけの選手でありながら、登板してから中4日間の過ごし方がものすごくしっかりしているんですよ。病気をしたこと(※3)もあったのかもしれないけれど、その姿にプロフェッショナルだなと思いました。

 メジャーにきてつくづく感じること、とはいえ僕はレッドソックスしか知らないですけど、本当に「天才だな」と思う選手がものすごくいっぱいいる。そういう「天才肌」の選手の中には、練習をほとんどしなかったりする奴もいるんです。でもいきなり投げて抑えちゃうんですね。びっくりしたのはキャンプで「今年初めてボール投げた」っていうピッチャーがいたとき。「え、キャッチボールもしてないの? オフ何していたの?」って聞いたら「ハンティング!」って(笑)。

(※3 2006シーズン途中、血液癌のひとつである悪性リンパ腫のうちの「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であることが判明。抗癌剤による治療を受け、翌年に復帰)

――はははは。

田澤 いいか悪いかは別として、天才って「できてしまう」部分があると思うんですよ。すごいなあって純粋に感心しますよ。でも、天才の中でもレスターみたいにしっかりと準備をしている投手がいる。彼と一緒にやらせてもらって「それは結果を出すよな」って、勉強にもなったし貴重な体験だったと思います。僕は天才じゃないんで、やらなきゃいけないって思いにさせてくれますね。

――話を聞いていて、つくづく「田澤投手はメジャーリーガーだな」と思います。そういう自負や実感みたいなものは。

田澤 あんまりないですね。

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田澤 純一

たざわ じゅんいち

マイアミ・マーリンズ

1986年6月6日生まれ。神奈川県横浜市出身。2008年、社会人野球エネオス野球部に所属し、都市対抗野球大会で全試合に登板。4勝をあげて橋戸賞を受賞。この年にメジャーリーグボストン・レッドソックスと3年契約。以降、中継ぎ、クローザーとして8年間で2013年のワールドシリーズ制覇などに貢献、302試合に登板し17勝20敗4セーブ。2017年シーズンからマイアミ・マーリンズに所属する。


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