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「上原さんがブルペンにいて助けられた」マーリンズ・田澤純一が振り返る「感謝」の8年間

ボストン・レッドソックスからイチローも所属するマイアミ・マーリンズへ移籍。渡米から8年過ごしたボストンへの思い。田澤純一独占インタビュー前編

■体の回復が追いついていかなかった

――喜びはない?

田澤 もちろん素直に評価していただいたのはうれしいですけど、僕は野球をしただけで、契約はいろんな人のフォローがあってのこと。そこはしっかり仕事をしなきゃいけないな、という思いが強いです。

――昨シーズンを振り返ると、前半は非常に調子が良かったように見えました。一昨年、離脱などもあったぶん、期するものがあったのではないかと思います。

田澤 そうですね。今年は前半すごく良かったんですけど……怪我もしてしまったんで、悔いは残ります。

――昨シーズン、ボストン・レッドソックスはクローザー、セットアッパーの怪我が相次ぎました。

田澤 (クローザーの)キンブレルも怪我で離脱しましたし、上原(浩治)さんもそうでしたね。

――中継ぎ、クローザー陣の調子が悪くなってしまった要因はあったのでしょうか。

田澤 僕に関しては自分自身の問題だったと思います。体の回復が追いついていかなかったというのが正直なところで、どこかで少し休むなりして、もうちょっとうまく自分でコントロールできなかったかな、と。大きな反省点ですね。

 

――シーズンをとおした対応ができれば防げたかもしれない、と。

田澤 はい。

――たしかに昨シーズン、1週間毎日ブルペンで投げて準備をしているのに実際の登板は1、2試合しかない、というようなことがよくありました。かなりしんどい状態に見えましたが……。

田澤 そういう部分でちょっと戸惑ったところはあります。特に6月くらいからブルペンで「作って(投げる準備をする)終わる」ことがすごく多かったんです。ブルペンでは何球も投げているけれど、実際の試合には投げない、という日が続いたわけですね。
 10点差がついている試合で準備を命じられて、隣を見ると野手も投げる準備をしている、というようなこともありました。「自分の起用法はどうなっているんだろう?」と思わなかったといえば嘘になります。体がなかなか回復しない中で、心のほうもついていかなかった、という感覚でしょうか。でもチームのことを考えれば、それは仕方ない部分もあります。どうであれ、与えられたポジションで投げ抜かなければ評価されないのが中継ぎというポジションですし、役割です。乗り越えることができなかったのは自分のミスだと思います。

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田澤 純一

たざわ じゅんいち

マイアミ・マーリンズ

1986年6月6日生まれ。神奈川県横浜市出身。2008年、社会人野球エネオス野球部に所属し、都市対抗野球大会で全試合に登板。4勝をあげて橋戸賞を受賞。この年にメジャーリーグボストン・レッドソックスと3年契約。以降、中継ぎ、クローザーとして8年間で2013年のワールドシリーズ制覇などに貢献、302試合に登板し17勝20敗4セーブ。2017年シーズンからマイアミ・マーリンズに所属する。


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