『本の雑誌』と『ダ・ヴィンチ』と『よむ』【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」24冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」24冊目
ユニークだったのは「読者をよむ」(1992年6月号)だ。いろんな雑誌の読者欄を分析した「読者欄探険!」は見ごたえあり。具体的な投稿内容にまで触れられていないのは残念だが、紙幅を考えればやむをえまい。『ロッキング・オン』『フロム・エー』という読者欄が熱い雑誌の編集長インタビューも好企画。『よむ』の読者欄「よむひと歓迎!」の拡大版では〈昨春の創刊号に対しては、「岩波」の書評誌ということで期待していただけに、その内容の粗末さにガッカリで随分キツイ文句を差し上げました。(中略)今回、一年ぶりに四月号を、文庫・新書特集にひかれて購入。前回の文句が、だいぶ改善されているように感じました〉なんて投稿が載っている。
しかし、1994年5月号に次のような告知が出る。
〈『よむ』は、七月号(六月発売)をもって、終刊します。「なんでもよむ!」を合言葉に、本を中心とした文字メディアをベース・キャンプとしつつ、さまざまなメディアを探索するという目的を、十全とは言えないまでも、このようなタイプ・規模の月刊誌として、一定程度果たし終えたと、判断した結果です。(中略)しかし、『よむ』は、尻尾を巻いて逃げ出すのではないと、それだけは申し上げておきたく思います。今号を含めての残り三冊に力を注ぎ、終刊の判断に御海容を賜るべく努めてまいりますので、お見守りいただければ幸いです〉
表紙にも「カウントダウン3」と大きく表示し、終刊を知らせる一文が添えられている。突然の休刊が多いなか、事前にこうした予告を出せるのは珍しい。「休刊」ではなく「終刊」としているのも潔い。が、終刊号の見開き2ページをほぼ丸々使った編集後記を見れば、志半ばの悔しさがありありと伝わってくる。

終刊号の特集は「〈よむ〉の未来」。皮肉のようにも自虐のようにも映るが、相良剛編集長による編集後記の末尾に綴られた文言には深くうなずいた。
〈ただ、人間はどうやら《よむ》ことを決してやめないような印象を、取材を終えた今、強く持っている。「○○をよむ」という短文の○○にどんな言葉を入れても、けっこう意味がとおることからも、それはうかがい知れるように思う。人間はさまざまなものをよんできたし、これからもよんでいくのだ〉
3年4カ月と短命だったが、「よむ」というコンセプトは悪くなかったと思う。売れ行きや社内での評価がどうだったのかは知る由もないが、何らかの形で復活してくれると本好き、雑誌好きとしてはうれしい。というか、前述の『本の雑誌』の「メニューを読書する!」なんかは、まさにそれ。とりあえず『本の雑誌』には、さらなるユニーク特集を期待したい。
文:新保信長

