『本の雑誌』と『ダ・ヴィンチ』と『よむ』【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」24冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」24冊目
そしてもう一誌、このジャンルで記憶に残るのが『よむ』(岩波書店)である。1991年4月号創刊で、1994年7月号にて休刊した。『ダ・ヴィンチ』とは一瞬だけ重なっていたことになるが、『ダ・ヴィンチ』とも『本の雑誌』ともまた違うテイストだ。
創刊号の編集後記には次のように記されている。
〈「本というものをめぐって、どのような形の月刊誌がなりたつのか」。編集者、筆者、取次、本屋さん、司書さん、そして身近な友人(多くは「24時間戦」うビジネスマン)から取材し、議論しながら考えてきました。(中略)「本」についての雑誌から、より広く《よむ》という営み全体についての雑誌へと、基本コンセプトを変えたとき、あたりまえの顔をして、『よむ』というひらがな2文字が表紙におさまっていました〉
巻頭には「よむのしくみ」として、雑誌の概要説明がある。特集は毎号テーマに則した座談会や論文、取材記事、関連メディアガイドで構成。「今月の入魂」はレギュラー執筆者とゲストが本・雑誌・映画・演劇などについて綴る。ほかに学術書を読み解く「ACADEMIC BOOKS NOW」、誌面に登場した本のデータを列記する「よむINDEX」、「文庫・新書新刊リスト」、読者投稿欄「よむ人歓迎!」(のちに「よむひと歓迎!」)などから成る。
お堅いイメージの岩波書店の雑誌としては異例のスタイリッシュな誌面。それもそのはず、ADは鈴木一誌である。ただ、デザイン優先で読みづらい面もあり、創刊2号(1991年5月号)の読者欄には「『よむ』が読めない!」との声があふれた。当時はさほど気にならなかったが、今あらためて見てみると、凝った組み方で文字も小さく、これは確かに老眼にはきつい。

創刊号の特集は「1000年をよむ」と大きく出た。天野祐吉(『広告批評』発行人)、横山紘一(東京大学文学部教授)、野田正彰(神戸市外国語大学教授・精神科医)、村上陽一郎(東京大学先端科学技術研究センター教授)の4人(※肩書は当時)が文明の歴史と未来を語り合う。アカデミックな雰囲気は、いかにも岩波。創刊2号は「戦争を読む」、3号は「歴史と出会う」と、これまた岩波らしい。
ところが、4号(1991年7月号)は「くるまざんまい」と、いきなり大衆路線。「クルマという快楽」と題するカー雑誌編集長座談会をメインに、マニア系カー雑誌編集長インタビュー、自動車雑誌一覧リスト、さらには「マンガの中のクルマ」なんてコーナーまである。
そこからは硬軟取り混ぜ多彩なテーマで特集が組まれる。「埼玉の謎」(1991年9月号)、「大阪メディア」(同11月号)なんて地域ネタがあるかと思えば、「同潤会アパート60年」(1992年2月号)、「関東大震災70年のいま」(1993年9月号)、「軍艦島閉山20年」(1994年2月号)といったシブいテーマも。「海を越えるドラえもん」(1993年6月号)、「『風の谷のナウシカ』完結の、いま」(1994年6月号)と、マンガネタもあった。
そんななかでも目立つのは、やはり本と読書に関するものだ。「20世紀日本の読書遍歴」(1992年5月号)では、1901年生まれの宮崎市定から1984年生まれの竹下龍之介(『天才えりちゃん』シリーズ作者)まで432人がライフステージごとの一冊を紹介。同様の企画の読者投稿版「発表!私の読書遍歴」(同9月号)もあった。「時代小説・歴史小説をよむ」(同12月号)という直球の特集もあれば、文学全集の実態に迫る「『全集』の現在」(1993年12月号)なんてのもある。
1991年10月号の「『書評』探険!」は、109紙誌の書評を点検・分析した労作。『よむ』自体が書評誌的要素の強い雑誌なのに、そこで書評の特集をやるというメタ視点にひざを打った。同特集は、第2回(1992年10月号)、第3回(1993年10月号)と毎年恒例の企画となる。文庫・新書新刊リストを1年分まとめた「文庫・新書’91→’92」(1992年4月号)も恒例となった。

