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人は何歳になっても未完成だ…「宅急便」創始者の人間観

【連載】「あの名言の裏側」 第6回 小倉昌男編(2/4)謙虚さが強さを生み出す

 ヤマト運輸は1980年8月に国道20号線(山梨路線)の免許を申請。しかし、運輸省は地元業者の反発を理由に、それを半ば放置し続けます。1984年になってようやく運輸審議会の公聴会で免許交付の是非が審議され、小倉氏も冒頭陳述などに尽力。審議会はヤマト運輸の主張を認めて、ようやく免許が交付されました。申請から交付まで、4年もかかったのです。
 それだけではありません。81年11月に申請された北東北路線の免許も、青森県の同業者が反対運動を起こしたのを理由に、申請書類は放置され続けました。
 小倉氏の著作のひとつ『経営学』に、次のような記述があります。

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(免許を交付するかどうかは、運輸省担当者の)恣意的な判断に任されていたのが実態であった。一般的には、既存業者が反対すれば需要に比べ供給が多く、反対がなければ需要が多い、というおかしな考え方で免許を与えたり、与えなかったりした。だから運輸省の役人は、「既存業者が反対を取り下げればいつでも免許を下ろしてやる」と公言するありさまだった。
 この発言は許せなかった。これでは運輸省など何のためにあるのかわからないではないか。
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 既存業者が反対するか否かで免許交付が行われるというのは、行政権の放棄に等しい。消費者のことを第一に考えるのが行政の使命ではないのか──小倉氏は「怒りが臨界点を超えた」と、後に当時の思いを語っています。
 北青森路線について、ヤマト運輸は申請から4年経った1985年12月、運輸大臣に対して行政不服審査法に基づく異議申し立てを行います。しかし「慎重に審査中なので、いったん申請を取り下げるように」という回答が。予想どおりの対応を受けて、小倉氏は「用意していた奥の手」を打つのです。1986年8月、当時の運輸大臣・橋本龍太郎氏を相手どって、東京地裁に「不作為の違法確認の訴え」を起こします。企業が監督官庁に行政訴訟を起こすなど、前代未聞のことでした。

 勝ち目がないとふんだ運輸省は、同年10月に運輸審議会の公聴会を開催し、同じく12月に免許を交付します。免許取得まで5年。小倉氏は後年発表した自著などで「(免許取得までに無駄に時間がかかったことを思い返すと)今も腹が立つ」と公言してはばかりませんでした。
 このように、小倉氏は対象エリアの拡大や運賃設定などに絡んで、臆することなく監督官庁にモノ申してきました。
『経営学』では、こんな一節も登場します。

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漆原 直行

うるしばらなおゆき




1972年東京都生まれ。編集者・記者、ビジネス書ウォッチャー。大学在学中より若手サラリーマン向け週刊誌、情報誌などでライター業に従事。ビジネス誌やパソコン誌などの編集部を経て、現在はフリーランス。書籍の構成、ビジネスコミックのシナリオなども手がける。著書に『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』、『読書で賢く生きる。』(山本一郎氏、中川淳一郎氏と共著)、『COMIX 家族でできる 7つの習慣』(シナリオ担当。伊原直司名義)ほか。

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