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信長はブロックアウトの夢を見るのか

季節と時節でつづる戦国おりおり第418回

 新型コロナウイルスの感染が欧米にまで拡大し最悪の状況になる中、良く聞かれるのが「オーバーシュート」「ブロックアウト」「ロックダウン」という言葉。なんでもカタカナのまま使えば知識人・情報通っぽく見えるという姿勢が透けて見え、嫌~な感じだ。要は「爆発的急増・上昇」「遮断」「都市封鎖」じゃん、馬鹿馬鹿しい。

 それは措いておこう。今回触れたいのはこれらの言葉の内の「ブロックアウト」「ロックダウン」だ。国家間のヒトとモノの自由な動きが遮断によって妨げられ、さらに都市がまるごと封鎖されてヒトとモノの流れが完全に停止する。そんな悪夢のような状況が生まれつつある。

 室町時代は、応仁の乱の際に将軍・足利義政の正室・日野富子が関所をあちこちに置いて税を徴収したのをはじめとして、各地で爆発的に関所が置かれ、ヒトとモノの流れが滞り、土倉などの資産経済だけが隆盛を極めた結果、徳政一揆という反動が起きた。というと極論に過ぎるか? まぁ概ね合ってるだろう(笑)

 この傾向はその後戦国末期まで続く。永禄11年(1568)、甲斐の武田信玄は駿河へ侵攻。甲相駿三国同盟は完全に破綻し、武田家は越後北関東の上杉、関東の北条、さらに侵攻後の背信的行為によって三河遠江の徳川をも敵に回すことになる。

 ここで信玄は家臣を京へ派遣し、織田信長との外交交渉にこう訓示して外交交渉に当たらせた。

 「信長に見放されればこの信玄は滅亡する他ない」

 信玄の本音だ。

 それまで、例えば北条氏の領地とはヒト・モノの行き来の自由が保障されていたが、三方向が敵となり封鎖される(当時の言葉で「通路途絶」「通路不合期」)と、西の織田領だけが通行・流通のルートとなった。

 ここでこのルートすら遮断されヒト・モノの流れが止まってしまうような事態に陥れば、戦国最強と謳われた信玄でさえ破滅することを、信玄自身が良く理解していた。

 戦国大名という当時の大資本も、ヒト・モノの自由移動によって成り立っていたのだ。

 新型コロナウイルスという未知の恐怖が相手である以上、遮断も封鎖もやむを得ない措置だとは思うが、だからこそ知恵を絞って大型の経済対策をとってもらえるよう行政府にはお願いしたい。でないと、一揆が起こってしまいますだよ。

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