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「人間はどう生きれば良いのですか?」という問いに現代の哲学者は口ごもってしまう……

現在観測 第3回

世の中のさまざまな分野の「今の様子」を論じる、リレー連載「現在観測」の第3回目。今回は「哲学の今」について、思想史家の大賀祐樹さんにご寄稿いただきました。
 哲学者は何をしているのか?

「研究って、どんなことをしてるんですか?」「あっ…えーと、…哲学です…。」

 哲学の研究者とはいえ、日常生活の中では、たとえば飲み会などで初めて話す人とこんな感じの会話を交わすことがある。学問的に哲学を研究している人ならば、この後いったいどんな話題を続ければ良いのか、困惑してしまった…という経験を、一度や二度ならず持っていることだろう。

 何故、困惑が生じてしまうのか。それは、一般の人々が「哲学」に対して持っているイメージと、実際に学問的に研究されている「哲学」との間に大きなギャップが存在しているからである。

 このような会話のシチュエーションになった時、一般の人々が期待しているのはおそらく「人間はどのように生きれば良いのか」や「幸福とは何か」といった問いに対する、もっともらしいウンチクのある答えだろう。あるいは「真理とは何か」という問いに対する答えであるのかもしれない。

 しかし、現代の哲学の研究者はこういった期待に応えることはできない。何故なら、現代の哲学のほとんどは、これらの問題とは関わりを持っていないか、少なくとも答えを出そうとするものではないからである。

 もちろん、酔いが回っていれば、何か深遠なウンチクの一つや二つを得意気に語ってしまうかもしれない。でも、いくら哲学の研究者が世間ズレをしているとはいえ、そんなことをすれば鬱陶しく感じられてしまうのが関の山だということくらいは理解している。

 だから大抵の場合は、「こういう時代の〇〇っていう人の思想の研究をしているんです…」というような、それ以上深入りされないための答えを返して、苦笑いと共にその話題をシャットダウンすることになるのだ。

 たしかに、哲学はかつて、世界の全ての物事を説明し尽くせるような「究極的な真理」を探求していたし、それと一体となった「全ての人間にとっての正しい生き方」を論じていた。そして、その二つの知を、一点の曇りもなく、ありのままに「鏡」に写し取ること…それこそが、哲学の目的であった。しかし、現代の哲学の多くはむしろ、その二つの知の存在を否定するものなのである。

 こういった観点に立っている現代の哲学の研究者からすると、「人間はどのように生きれば良いのか」や「幸福とは何か」といった問いは、哲学が答えを出すべき問題ではないように感じられてしまうのだ。

 こうして哲学の研究者の世間ズレは、ますますこじれていってしまうのである。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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