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太平洋戦争のターニング・ポイント
ミッドウェー海戦になぜ負けたのか!?

ミッドウェー海戦 “運命の5分間”の真実

 ミッドウェー海戦は連合艦隊の機動部隊(司令長官・南雲忠一中将)が惨敗を喫し、太平洋戦争のターニング・ポイントとなった海戦として知られる。

 ミッドウェー攻略作戦には旗艦赤城、加賀(第1航空戦隊)、飛(ひ)龍(りゅう)、蒼(そう)龍(りゅう)(第2航空戦隊)の4隻が参加。後続の主力部隊、攻略部隊、上陸・占領部隊に先立つ斬り込み隊の役目を担っていた。そして、これを阻止しようとする米機動部隊が現れた場合、一気に葬る手筈になっていた。むしろ、こちらの方が主眼である。そのシナリオがどこで狂ってしまったのか。そこにはボタンのかけ違いでは済まない判断ミスがあった。

 昭和17年(1942)6月5日午前1時30分(日本時間・現地は4日午前4時30分)、攻撃隊108機が発進した。司令部はこの段階になって索敵機7機を飛ばした。攻撃隊は午前3時30分、ミッドウェー基地を襲撃。が、総指揮官の友永(ともなが)丈(じょう)市(いち)大尉は不十分と判断、第2次攻撃を要請した。

機動部隊は午前4時ごろから、ミッドウェー基地を発進した爆撃機B17、B26の攻撃を受けていた。B26は雷撃してきたが、迎撃の零戦がことごとく撃ち落とした。戦闘中にもかかわらず、赤城司令部は午前4時15分、発光信号により艦隊攻撃用の兵装で待機していた第2次攻撃隊103機に陸上攻撃用の兵装転換を命じた。

 午前4時28分、索敵機の利根4号機から「敵らしきもの10隻見ゆ」と打電してきた。すると司令部は「敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装そのまま」と命じたため、空母内の格納庫は混乱を極めた。

午後4時55分、基地発進のSBDドーントレス急降下爆撃隊が機動部隊に襲いかかった。が、零戦が奮戦して撃退した。

午後5時20分、利根4号から「敵は空母らしきもの1隻伴う」との決定的な報がもたらされた。折しも同40分ごろ、敵機が去り、上空で待機していた攻撃隊が着艦し、格納庫に収納された。

この間、米機動部隊は午前5時6分、エンタープライズ、ホーネット、30分後にはヨークタウンの各攻撃隊を発進させていた。

日本海軍機動部隊の主力空母、赤城。ミッドウェー海戦で、米軍機の奇襲をうけ大破。味方の駆逐艦により処分される。

 

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松田 十刻

まつだ じゅっこく

1955年、岩手県生まれ。立教大学文学部卒業。盛岡タイムス、岩手日日新聞記者、「地方公論」編集人を経て執筆活動に入る。著書に「紫電改よ、永遠なれ」(新人物文庫)、「山口多聞」(光人社)、「撃墜王坂井三郎」(PHP文庫)など。


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