「日中友好」が熱心に唱えられていたあいだ、私はよく「中国人も同じ人間だから、心が通じ合うはずだ」と聞かされて、辟易したものだった。「心を通じる」とか、「心を分かち合う」という表現が、外国語にないことを知らないのだ。
 日本以外の国に、「和」は存在していない。日本では、心を分かち合っているからだ。
 世界は二十一世紀に入ったというのに、戦乱や、虐政が絶えることがない。
 世界平和は、日本の心と和の文化が、世界にひろまることによってのみ、もたらされることになろう。

 そのために、日本文化を世界にひろめるために、努力しなければならない。
私は海外を頻繁に訪れるうちに、日本民族の力の源が、いったいどこにあるのか、考えるようになった。
 日本について、驚くことが多い。
 日本では、古代から詩の形態が、まったく変わっていない。
 世界のなかで、日本だけ、詩の形式が古代から、少しも変わっていないのだ。
 英文学をはじめとする西洋文学では、近代詩と古代詩の形式が、まったく異なっている。
 日本でもっとも古い短歌といえば、『古事記』(七一二年)に素戔嗚尊(すさのおのみこと)の歌がでてくる。
 今日も、朝刊を手に取ると、読者からの短歌の投稿欄がある。
 短歌に関心がない読者は、みすごしてしまおうが、そこに載っている和歌は、素戔嗚尊の歌と、形式がかわっていないのだ。
 詩は人の心に、もっとも近い文学表現だ。
西洋では近代詩と古代詩との間に、長い時間的な隔たりがあるのに、日本では古代と現代が同じ時間にある。
 西洋や、中東でキリスト教の教会や、ユダヤ教の教会(シナゴーク)、イスラム教のモスクが新しく建てられる時には、近代建築様式をもって建てられる。古代の様式で建てることはない。
 日本では、近代都市に新しく神社が建てられる時でも、神代からの昔ながらの建築様式によって建てられる。それでなければ、私たちの心が和むことがない。