現実肯定の先輩「インド人」

 そしてもう1つ忘れてはならないのが、今年各地で異常な盛り上がりを見せている「応援上映」だろう。みんなが大好きな映画をみんなで応援しながら観るイベントが大人気になっているのだ。
 思い出すのがかつての「ロッキーホラーショー」のコスプレ上映会だったのだけれど、今回のノリはかなり「カジュアル」だ。
 あくまで目的は「みんなで応援」で、そのスタイルは様々だけど、ほとんどが「自分を見て!」というお客さんたちではない。
「ただのスクリーンを相手に応援?」みたいな野暮な突っ込みは無用だ。何しろ数年前から「初音ミク」などのライブイベントでは、フォログラフィーを相手にノリノリで応援していたのが日本人なのだ。

 この応援イベントの面白い所は、仮だけど「好きな人(キャラ)に会える」のと「その時だけはみんなと夢の世界にいられる」という、諦めたはずのファンタジーを「時間限定」で堪能できるところだ。
 辛い現実を忘れるための「一時の祭り」としての映画体験、と言えばインドで昔から行われているものと同じだ。
 インドでは昔から映画館で人が歌い踊ったりしていた。
 階級の壁が強固で貧困も激しいインドでは「映画」という「ファンタジー」が民衆の心の救いだという。
 現在のインドにかつてほどの格差と貧困があるかはわからないけれど、日本ではここ数年しゃれにならないほどの貧困化、階級化が進んでいる。

 そんな状況でも生きていかなくてはならないのは、かつてのインドと同じ。
 そう言えば「シンゴジラ」はスクラップ&ビルド(破壊と創生)を生み出すヒンドゥー教の破壊神にも見える。
 2016年という年は、日本が「かつてのインド」に向かって舵を切った年なのかもしれない。