実際、医学書には過食嘔吐を解説するなかで「グロテスク」と形容しているものすらあります。排出型の瘦せ姫は、世間からそう見られるような行為をしていることをひた隠しにし、そういう自分を嫌悪しながら、それこそ、人間以外の何かに変わってしまったような思いにとらわれたりして、葛藤するのです。

 いずれにせよ、摂食障害になった人はこうした「理解されにくさ」とも戦っているわけです。そういえば、ツイッターでこんなツイートを見つけました。

「国指定の難病です 治療薬や特効薬はありません 原因や治療方針は未確定です 後遺症が残ります 慢性的に症状が続きます 致死率は7~ 16 パーセント程度です  普通なら、誰もこんな病気になりたくないはずなのになりたいと願う人がいるほど、世間の人には理解されない病気  それが摂食障害」

 これを目にしたとき、本質を見事に言い当てていると感じたものです。ただ「なりたいと願う人がいる」のはもっぱら拒食症でしょう。

 まえがきでも書いたように、制限型にせよ、排出型にせよ、瘦せすぎていれば心配もされます。が、標準もしくは肥満体型だと、それほど心配はされません。「瘦せたいのに瘦せられないつらさ」にさいなまれる人はむしろ、症状が悪化して瘦せすぎることを望んだりもするのです。

 また、今は「瘦せ」が高い価値を持つ時代。一見、健康であっても、標準もしくは肥満体型であることをよしとせず「拒食症になってもいいから瘦せたい」と思い、それを言葉にする人も少なからず存在します。

 まさに、摂食障害の不思議さでしょう。

 では「世間の人には理解されない」ぶん、摂食障害の人同士なら理解しあえるのでしょうか。「同病相憐れむ」ということわざがここにも当てはまる可能性について、次に考えることにします。

(つづく……。※『瘦せ姫 生きづらさの果てに』本文抜粋)

【著者プロフィール】 

エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる) 

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』などに執筆する。また健康雑誌『FYTTE』で女性のダイエット、摂食障害に関する企画、取材に取り組み、1995年に『ドキュメント摂食障害—明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版。2007年からSNSでの執筆も開始し、現在、ブログ『痩せ姫の光と影』(http://ameblo.jp/fuji507/)などを更新中。