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長篠の戦いで自らの命を捨て味方を救った男

第八回 SAMURAIファイル「鳥居強右衛門」

名古屋在住、日本大好きラジオDJクリス・グレンが語る、
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか?

 

身を犠牲にして味方を救った伝説の男

 

長篠・設楽原の戦い。
1575年、38,000の織田信長、徳川家康の連合軍VS 15,000の武田勝頼軍との間におきた戦いだ。織田信長が馬防柵を築き、当時の最新兵器であった3000丁の火縄銃を使い三段打ちをしたとも言われている戦いである。
(実際には、これは不可能だったという説もあり)

 

 

500人が篭城している長篠城。武田軍によって、何重にも包囲されていた。
「食料も尽きてきてしまった。ここは徳川家康殿に援軍を頼むしかない」と考えた長篠城主の奥平信昌。ここから誰かを脱出させ、援軍を頼みに行かせることは容易ではない。そんな命がけの役目を自らかって出たのが足軽だった36歳の鳥居強右衛門(とりい すねえもん)。これぞ、SAMURAI!
 
強右衛門は、危険をおかしながらも、なんとか城からの脱出に成功!
岡崎にいた徳川家康に、無事援軍を要請することができた。
しかし残念ながら、その帰り道、武田軍に捕まってしまう。
強右衛門を捕えた武田勝頼は、数日中に織田と徳川の援軍が来ると知ると長篠城からよく見える所に強右衛門を磔(はりつけ)にし、こう命令した。
「援軍は来ない。諦めて城をあけ渡せと言え!」と。
この命令を一度は承諾した強右衛門だが、ここからが彼のSAMURAI魂!
彼は、味方に向かって、こう大声で叫んだ。
「2、3日のうちに援軍がくる!それまで辛抱しろ!頑張るんだ!」
 

 

 
うぅっ、感動・・・。
このストーリーをはじめて聞いた時、すさまじいほどの強右衛門の
SAMURAI魂に心を打たれた。

そんな僕の想いとは反対に、怒り心頭なのは武田勝頼。
結果、強右衛門は、みんなの目の前で殺されることになる。
仲間たちは「強右衛門の死を無駄にするな」と、織田軍、徳川軍の援軍が到着するまで、必死で長篠城を守り続けた。そして、結果的には武田軍に勝利することになるのだ。
 
 

 

足軽という低い身分でありながら、歴史に残る多大なる役割を果たした鳥居強右衛門。身分やポジションなど関係ない。
命をかけて「何かを成し遂げよう」と行動すれば、多くの人々の心を動かし、さらには世の中を動かすくらいのことができてしまうのだ。
彼の勇気と使命感は、誰にでもマネできるものではないが、たとえほんの少しであっても、彼のSAMURAI魂は見習いたいと思う。

鳥居強右衛門。
ヒーローとして歴史に名を残す、勇敢な戦国SAMURAIだ。
  
<追記>
強右衛門の姿は味方だけではなく、敵であった武田軍のSAMURAIたちの心も動かした。武田軍の落合道久は、磔にされている強右衛門の絵を自身の「旗さしもの」として使用している。 
 

<以下 英訳>
Bound spread-eagled with straw ropes on a double horizontal-beamed wooden cross, Torii Suneemon was put on display across the river from Nagashino Castle. “Tell them reinforcements aren’t coming, tell them to give up the castle and come out!” hissed one of his captors.
Torii looked up at the castle, he could see many of the 500 samurai inside watching him from the lookout towers and from behind the fortress walls. “Men of Nagashino Castle….,” he yelled in a loud voice, “Don’t give up! Ieyasu’s men are on the way! Hold on a little longer!” he blurted before being silenced forever by a spear thrust to the stomach.
 
In June of 1575, 15,000 Takeda forces had surrounded Nagashino Castle, laying siege for just over a week before the low ranked but brave Torii had volunteered to leave the castle, swimming the river and cutting through nets set by the enemy, to call for back up from Tokugawa Ieyasu in Okazaki.  After alerting Ieyasu and requesting reinforcements, the 36 year old Torii quickly returned to Nagashino where he was captured trying to sneak back in and tied to the cross on the riverbank opposite the castle and ordered to tell his compatriots inside to give up. When he had yelled encouragement to the samurai inside, he had been killed in full view of the castles’ men.
 
One of the Takeda forces, one Ochiai Michihisa had been so impressed by the low ranked Torii’s bravery and loyalty, he had a battle flag made featuring an image of the crucified Torii that he wore from that day on in his memory.

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クリス グレン

くりす ぐれん

オーストラリアと日本の両国で、デビューから現在まで、常に第一線で活躍し続けるラジオのプロフェッショナル!

幼少時から日本ファンで、17歳の日本留学以来、甲冑師に弟子入りするなど、熱心に日本文化を学んできた日本通。

趣味は戦国の歴史研究、城めぐり、甲冑武具の収集、古武道……など。


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