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こんなに弱くてゴメンナサイ…広島城(広島県広島市)の謎

“歴史芸人”長谷川ヨシテルが太鼓判を押す!?「最弱の城」

 

 毛利家が苦労を重ねて築城している広島城の縄張りを見た秀吉は思わず笑い出し、こう言ったそうです。

「何だこの弱い城は!この縄張りだったら“水攻め”で簡単に落としてしまうぞ!」

 

 そうなのです、三角州に築かれた広島城は“水攻め”にやたら弱いお城だったのです。水攻めとは、お城の周りに堤防を築いて水没させる、秀吉が「備中高松城」を攻めた時に代表される城攻めの方法です。つまり、天然の要害として周囲を流れる太田川などを堰き止めてお城に流し込めば、ザ・平城の広島城はすぐに沈んでしまうというのです。

 輝元からしたら「言わんこっちゃない!」です。

責められた隆景はこう説明したと言います。

「要害ではないからこそ良いのです。毛利の城が要害ならば、秀吉様からあらぬ疑いを招きます。官兵衛殿は毛利家のことを想って、この地に築城を勧めてくれたのです」

 確かに腑に落ちることは落ちますが、工事に大金を使っている輝元は「官兵衛にはめられた!」と少なからず思っていたに違いありません。

 また、眉唾物ですが、こんな話もあります。九州に領地を持っていた官兵衛は、日本の中央で大きな戦があった時に九州を制圧して中国地方に攻め入る計画があったそうです。(「関ヶ原の戦い」の時に決行したが未遂に終わった)

 その計画を優位に進めるために、毛利家にわざと弱いお城を築かせたと言います。備中高松城の水攻めを秀吉に提案したのも官兵衛だったことを考えると、ひょっとするとひょっとするかもしれません。(また、工事にかかった相当な出費も、毛利家を経済的に弱体化させるための策だったとも)

 広島城が水に弱かったというのは、江戸時代の記録でも残されています。毛利家の後に城主となった福島正則は、1619年に幕府に無断で崩壊した石垣を修復したということで改易されていますが、石垣が崩壊した原因は洪水でした。

 その後、幕末まで約250年間、城主を務めた浅野氏の時も度々お城は洪水でダメージを受け、修復に多大な費用がかかったと言われています。

 このように、周囲の河川を天然の要害とし、日本一の櫓の数を擁した広島城は、黒田官兵衛の(良い意味でも悪い意味でも)毛利家を想う心によって築かれた、水攻めされたらひとたまりもない『最弱の城』の1つだったのです。

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長谷川 ヨシテル

はせがわ よしてる

歴史ナビゲーター、歴史作家。埼玉県熊谷市出身。熊谷高校、立教大学卒。漫才師としてデビュー、「芸人○○王(戦国時代編)」(MBS、2012年放送)で優勝するなどの活動を経て、歴史ナビゲーターとして、日本全国でイベントや講演会などに出演、芸人として培った経験を生かした、明るくわかりやすいトークで歴史の魅力を伝えている。テレビ・ラジオへの出演のみならず、歴史に関する番組・演劇の構成作家や、歴史ゲームのリサーチャーも務めるほか、講談社の「決戦! 小説大賞」の第1回と第2回で小説家として入選するなど、幅広く活動している。NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)の第3話に一般エキストラとして14秒ほど出演。また、金田哲(はんにゃ)、山本博(ロバート)、房野史典(ブロードキャスト!!)、いけや賢二(犬の心)、桐畑トール(ほたるゲンジ)とともに、歴史好き芸人ユニット「六文ジャー」を結成、歴史ライブやツアーを展開中。トレードマークは赤い兜(甲冑全体で20万円)。前立ては「長谷川」と彫られている(特注品で1万5千円)。著書に『ポンコツ武将列伝』(柏書房刊)『マンガで攻略! はじめての織田信長』(原作・重野なおき、金谷俊一郎との共著、白泉社刊)がある。雑誌『歴史人』の人気ウェブ連載をまとめた『あの方を斬ったの…それがしです ~日本史の実行犯~』が3月19日(月)配本!


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  • 長谷川 ヨシテル
  • 2018.03.20