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まわりはどんどん偉くなったのに 池田恒興

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る その3

岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。

つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、

一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

 

マイナー武将?実力派・池田恒興のついてない境遇

 先日、テレビを観ていたら、斎藤道三がマイナー武将の扱いになっててびっくりしました。このコラムはどれくらいマイナーでも通じるのかな?

 池田恒興(天文5~天正12年 1536‐84)は、実力はあるのにマイナー扱いされてるひとりでしょう。織田信長の乳兄弟です。信長の最もふるい家臣のひとり。

 どのぐらいマイナーかというと、名前が「信輝」と誤記されてそのまま伝わっちゃってるぐらいの人なんですな。いまは古文書の解析なども進んでおり、同時代の文書類から「恒興」が本当の名前だということがようやく確定したほど。

 息子は有名です。世界遺産の姫路城を完成させた池田輝政が次男。

『寛政重修諸家譜』をひっくりかえしても、恒興の項目なのに息子の輝政がいかに凄い奴だったか、って話がえんえんと書いてある……。

 大垣市の拙宅から歩いて十分ぐらいのところに、池田恒興の墓所がある。臨済宗妙心寺派の長勝寺ってところで、びっくりするぐらいささやかなところです。車を停めるところがないので、歩いていくのがいいかも。等身大のお地蔵さんが目印。

 メインのお墓は京都の妙心寺にあるそうなんですが、本能寺の変のあとに秀吉につき、その功績で大垣城主になったから、らしい。

 それにしても、もうちょっといい扱いしてくれてもよさそうなもんですけどねえ。せっかくの石碑が木に隠れてるんだもの。

 

 大垣城の写真もあげておきましょうね。

 先日改装工事がおわり、天守閣の窓を小さくするとかいう具合に「それっぽく」新しくなってます。

 信長の旧臣中の旧臣なのに、出世には縁がない人というか。

 旧臣の柴田勝家や丹羽長秀はともかく、新参の滝川一益や明智光秀にも追いぬかれ、信長の雑人だった木下藤吉郎(豊臣秀吉)の家臣になっちゃったわけですから。

 ちなみに、戦国武将の例にもれず、あちこちにお墓があります。京都妙心寺、大垣長勝寺のほか、戦死した長久手古戦場跡にも石碑が立ってます。

 大垣から長久手古戦場まではけっこう距離があるので、その写真はまたいずれ。

 それにしてもこの池田恒興、織田信長の乳兄弟で、鬼武蔵と恐れられた森長可(ながよし)の舅で、清洲会議に出席して信長なきあとの後継者決めに立ち会った武将、って具合に重要な役回りのわりにエピソードが少なくてまいった。

次はもうちょっと「らしい」ところを探してきます。

(了)

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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