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デマという「人災」を防ぐには

いまあらためてデマと災害を考える

報道への信頼が揺らぐ時、デマは強力な力を発揮する

 時には、新聞やテレビなどの正規の報道で伝えられている情報よりもデマのほうが拡散力を持つことがある。正規の報道とは、情報の出所と最終的な責任の所在が明らかにされているものである。もちろん、正規の報道も「誤報」を行うこともあるが、それが明らかになった場合には何らかの形で責任がとられることになるだろう。

 一方、デマは出所も責任の所在も不明な場合が多い。大抵は、誰かからの伝聞として伝わり「〜ということだが、まさかそんなこともあるまい」などと冗談半分で語られることもある。
 正規の報道内容が真実であると信じられている時には、デマが拡散する隙はない。だが、報道は真実であるという信頼が揺らぐ時、デマは強力な力を発揮するようになる。 

 清水は、新聞などが「官報化」している時には民衆の生活と結びつく風評が欠けており、流言蜚語が街頭や夜の暗がりから生み出され、その間隙を埋めることになると論じている。そして「検閲の厳格の程度と流言蜚語の量とは一般に正比例す」という法則が立てられるかもしれないとも述べている。

デマという人災への備えも大事

『流言蜚語』という著書が最初に刊行されたのは1937年である。ここで言われている検閲と同様の検閲が現代の日本でも行われているわけではないので、この記述も当てはまらないように思えるかもしれない。だが、現代の報道も国家権力による検閲ではないにせよ、様々な批判を避けるために多かれ少なかれ自粛が行われているのではないだろうか。

 特に、災害時の報道には当然のことではあるがよりいっそうの自粛が行われることとなるし、テレビのどのチャンネルをつけても同じような番組ばかりというような状況となる。これは、報道の「官報化」の一形態といえるかもしれない。
 テレビでは災害の惨状がリアルタイムで流されるとしても、あまりに画一的な報道が続くと、意識的にせよ無意識にせよ、人々は「もしかしたら大混乱を招くような本当に危険な情報は意図的に隠蔽されているのかもしれない」と感じるようになるだろう。そこに、誰かが冗談半分の意図で流したようなデマがつけ入る隙が生じるのである。

 匿名で投稿でき、画像や映像を添付できて、瞬時に拡散される特性を持つツイッターなどのSNSは、デマとの親和性が高いものだとも言える。もちろん、多くの場合は本当に必要な情報を瞬時に伝え、手軽に広めることに役立った。一概に害のあるものでもなく、得られる益も大きい。
 だからこそ、上手く使いこなしていくために注意しなければならないこともたくさんあるのだと、常に意識していかなければならない。天災に対する防災も大事だが、その後に生じる二次的な人災への防災もまた大切だ。
 

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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