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「仏教ブーム」の裏側にあるもの

インタビュー/『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ』著者・ネルケ無方

一神教はなぜ争うのか? 「悟り」「執着」とは何か? ドイツ人禅僧が教える、日本人のための宗教原論、ついに発売! (2016年5月10日全国書店等で販売開始!)  『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ』の著者・ネルケ無方師に、仏教ブームの背景と一神教の持つ強烈な“ニオイ”とそのアク抜きについて語ってもらった―。

Q1.『日本人に「宗教」は要らない』に続き、「ベスト新書」は2冊目になります。本書を書かれた動機、前著との関連性についてお聞かせ願います。

ネルケ:前著『日本人に「宗教」は要らない』を書くことになったきっかけは、3年前に東京で行われた仏教伝道協会主催のパネルディスカッションでした。最初は「ここが変だよ、日本仏教」というテーマの講師として呼ばれたのですが、開会直前になって、テーマが変わってしまいました。

「『ここがすごいよ、日本仏教』という内容でお話を聞かせてほしい」と言われたのです。最初は、日本仏教についてボロクソに言うつもりで臨んでいたので……、あのときはさすがに参りました(笑)。

その会場にいたKKベストセラーズの編集者さんとパネルディスカッション終了後、日本の仏教についていろいろ話しました。その後、そのとき話したことをベースにして『日本人に「宗教」は要らない』を書いたわけです。

また、これと併行するように3年前から、私が住職を務めている「安泰寺」のホームページで「キリスト教、仏教、そして私」というテーマで、エッセイのようなものを毎週書いてきました。キリスト教が「愛」の宗教なら、仏教は「知恵」の宗教、といった感じのものですね。当時は、この2つの宗教の長所と短所をしっかりと確認しておきたいという思いが強くあったので、それで書き出したんです。

去年出版した拙著『迷いは悟りの第一歩』(新潮新書)もその延長線で書いた一冊ですが、その中で書ききれなかったことがまだまだたくさんありました。

そこで再度KKベストセラーズさんのお世話になって、今回の『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ』を発行する運びとなったわけです。

『日本人に「宗教」は要らない』が「入門編」とするなら、今回はもうすこし本格的な宗教比較論的なもので、いわば「中級編」と言えるかもしれませんね。

 

Q2.日本での「仏教ブーム」はますます高まっていく感じですが、このブームが続く背景には何があると思われますか? また、世界レベルでは「仏教」はどのようにとらえられているのでしょう?

ネルケ:仏教、あるいは精神的なものがブームになっているということは、人々の心が飢えている証拠だと思います。それは日本人だけのことではなく、世界各国の人々も経済的な豊かさよりも、心のよりどころとなるような、充実した生き方を求めているのではないでしょうか。

そんなときには、一神教のように教義の微細な違いで自己主張し合うのではなく、あらゆる物事を包みこむ仏教の大きな心(それこそ、禅のいう「無心」)が期待されているのかもしれません。そういう意味では、仏教が日本国内で、ま た世界的にも注目されていることはうれしいことです。

ただ、「ブーム」になっているということは、危険なことでもあります。なぜかと言うと、ブームが続いている間は、たいして内容もない仏教関係の本までが、次々と出版されてしまいがちです。そんな怪しい本を読むことで、仏教が間違って人々に伝わるのが怖いのです。

私も人のことは言えません。「話を聞かせてください」と言われるのはもちろん光栄なのですが、今後は講演や出版する本の数を多くすることより、仏教に関する内容をさらに深めていきたいと思っています。仏教を単なるブームで終わらせたくありませんからね。

 

Q3.「強引な勧誘・教えの押しつけ」など、一神教の強烈な“ニオイ”は、日本人の「理解しよう」という気持ちの妨げになっているのは明らかです。もう少しソフトなアプローチはできないのでしょうか?

ネルケ:「この宗教に、私は救われました。だから、一人でも多くの人にこの宗教をシェアしたい。あなたも是非、この宗教を信じて……」そんなふうにおっしゃる熱心な一神教信者の方もいらっしゃるでしょう。でも、そんな言い方では、せっかくの熱い善意も伝わりませんよね。

そこで、私は日本人の「消臭」技術に期待して、「宗教のアク抜き」を提案しています。日本人が数千年もの間、狭い島国で共生できた理由の一つは、「和」の技術を持っていたからです。あるいは逆に、数千年をかけて、「和」の技術を磨いてきた、と言ったほうが正しいかもしれません。一神教のように、「愛」を武器として使ったり、善意の押し付けをしたりすれば、「和」を保つことはできませんよね。

今回の本でも書いていますが、「日本人は無宗教」と言う場合の「無」という一字には、「天地いっぱい」という意味が込められているのです。「無」は、英語で言えばオープン、フリー、フローイングです。宗教を否定する必要はありません。これからの時代に向けて、本当の意味での「無の宗教」を提唱しなければ、地球という狭い惑星の中での共生はできなくなると思うのです。

無の宗教はフリーであり、オープンでもあります。その中にはキリスト教があってもイスラム教があっても、もちろん仏教や日本の神道も、すべて入っていていいはずです。

 

Q4.書名にある「仏教の冷たさ」についてですが、仏教の世界におられて「仏教の冷たさ」を感じることはありますか?

ネルケ:はい、感じています。

現在の日本仏教には大きく2つの流れがあります。

1つは、仏教を「お寺」という文化財を中心とした伝統行事としてとらえていること。多くの日本人は「そんなものは、時代に合っていないのでは……」と思っているかもしれませんが、それをどうしても死守しようとする保守的なお坊さんがたくさんいます。

一方、もう1つの流れとして、このままでは時代のニーズに応えられないというので、仏教の新しい経営スタイルを模索しているお坊さんもいます。

地方の田舎では人口が次第に減り、お寺の存続自体が危うい状況になっていますが、都会ではまだ、どこの檀家寺にも属していない世帯がたくさんあります。この人たちをターゲットにして、いま話題になっている「お坊さん便」というような近代的なビジネスモデルを開発しようというわけです。

残念ながら両者とも、私からみるとあまり感心できるものではありません。かたや伝統が、かたやお金がものをいうと主張していますが、そこには最も大切な「釈尊の教えと実践」が全く感じられないからです。

日本の既成仏教を支えているのは、ほとんどがお寺の子息です。もちろん、私のような在家出身者も少数ながらいます。彼らは(私も含めて?)一見まじめそうに見えます。かつて釈尊もそうだったように、自分の意志で決断して仏の道に入ったわけですから。

ところが、本人はまじめにやっているつもりでも、はたから見れば「すこしずれている」ということが多いのです。私もそうですが、「変わり者」といったらいいのか、「こわれもの」といったらいいのか……。事実、一般社会で通用しなかったから仏道に入ったという人も少なくありません。

仏教により自分自身の問題を解決しようとしているわけですから、それなりに真剣に修行に励んでいるのは間違いありません。ただ、出発点にあるのは「自分の問題が解決できればよい」という自己中心的な考えなので、そこには仏の慈悲はありません。ですから、「仏教の冷たさ」は決して他人事ではなく、誰よりも「私自身の冷たさ」のことでもあります。

私のこれからの課題は「もっと人にやさしくなろう」ということです。

 

Q5.本書ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教ほかいろいろな宗教の経典及びその伝播が紹介・解説されていますが、いずれの場合も人間の都合のいいように解釈され、改変が行われているように感じてしまいます。この見方は間違っているのでしょうか?

ネルケ:おっしゃる通りです。冷静に考えれば、神も、経典も人間が考え、創りだしたことです。しかしこの「常識」としか言いようがないことでさえ、常識として通用しないのが一神教です。

「不条理ゆえにわれ信ず」云々と言いますが、そこにはやはり一神教の落とし穴があると思います。私も、人間の頭ではとうてい理解できない真理があるのは確かだとは思います。私たちはみな、個人を超えた、天地いっぱいの命に生かされて、生きていることは間違いないでしょう。

だから、一神教の言う「神」も結局は、人間の手の届かないところにある「真理」や「命」のことを指しているのだと思います。しかし、その一神教の神が人格者であり、妬みもあれば怒り狂うこともあるというわけです。それではあまりも人間臭すぎます。

ですから、これからの一神教徒にはもう少し大人になってもらう必要があると思います。経典は所詮、物語です。それぞれの宗教がそれぞれの物語を信じるのはかまいません。しかし、その物語は人間が創りだしたものなのです。「全てうそだ!」というつもりはもちろんありませんが、仏教的に言えば、それらはせいぜい「方便」です。たかが方便の違いで、喧嘩すべきではないでしょう。

 

Q6.日本ではキリスト教をアク抜きして日本流の「キリスト教Light(ライト)」にしたとも書かれています。イスラム教はだいぶ手強そうですが、日本人はイスラム教も「Light」にできそうでしょうか?

ネルケ:イスラム教についは、私もまだまだ知らないことが多いのですが、じっくり観察する必要はあると思います。

日本のイスラム教徒の中では、イスラム法学者の中田考氏が有名です。彼はイスラム教徒としてしっかりした芯を持っていると思うのですが、彼のTwitterなどを拝見すると、非常に日本的というか、イスラム教をLightにしている部分があるなと感じます。日本的な「かわゆす(可愛い)」をイスラム教とブレンドしようとしているのでしょうか。

これがすでに行われているイスラム教の日本的なアク抜きなのか、それとも逆にガチガチのイスラム教の日本的なカムフラージュなのか、現時点では何とも言えませんが―。

 

Q7.最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。

ネルケ:自分の生き方を、日本の社会のゆく末を考えるときも、宗教を視野に入れていただきたいのです。特定の宗教を信じるのではなく、自らの「生と死」を直視して、人の和を保つためにも、予防接種のつもりでもいいですから、「宗教という食卓」でいろいろな宗教をお腹いっぱい食べていただきたいと思います。

<了>

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ネルケ 無方

ねるけ むほう

 禅僧。曹洞宗「安泰寺」堂頭(住職)。ベルリン自由大学日本学科・哲学科修士課程修了。 

1968年、ドイツ・ベルリンの牧師を祖父に持つ家庭に生まれる。

16歳で坐禅と出合い、1990年、京都大学への留学生として来日。

 兵庫県にある安泰寺に上山し、半年間修行生活に参加。1993年、出家得度。

 「ホームレス雲水」を経て、2002年より現職。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている。

 著書に、『ドイツ人住職が伝える 禅の教え 生きるヒント33』(朝日新書)、『禅が教える「大人」になるための8つの修行』(祥伝社新書)、

 『迷いは悟りの第一歩』(新潮新書)、『日本人に「宗教」は要らない』(小社)などがある。 


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