トルコの超イスラーム保守派地域「チャルシャンバ地区」を歩いてみた |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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トルコの超イスラーム保守派地域「チャルシャンバ地区」を歩いてみた

 通常のモスクでは、1日5回のアザーン(礼拝の呼びかけ)が、スピーカーを通して流される。しかしながらこのモスクでは、今でも肉声でアザーンを行なっているという。残念ながらその場に立ち会うことは叶わなかったが、教団がイメージ動画を上げている。

 モスクを出て少し散策すると、何やら巨大な建物が目についた。

 

 

 上の写真で右下の人が異常に小さく見えるほど大きな入口だ。イスマイル・アー男子クルアーン教室(İSMAİLAĞA ERKEK KUR’AN KURS)と書かれている。調べてみると、中東で最も巨大なクルアーン教室だと言われているようだった。

 散策を続けると、近くにモスクやテッケ(スーフィーの修行場)、墓が集中する区域があった。殆どは開いていなかったものの、唯一開いていたイスメト・エフェンディ・テッケに入ってみると、中には宗教関連用品売り場が備えられていた。

 

 

 タスビーフ(神の名を数えるために伝統的に使用される数珠)の隣には、小さなクルアーンを入れるための袋が売られている。

 

 

 墓はよく手入れされており、植物が青々と茂っている。碑には故人の名前や役職、祈りの句といったものがオスマン語で彫られていた。

 墓を出てあたりを見渡すと、何やら雰囲気の全く異なる建物がある。一見教会のようにも見えるが、どうやらギリシア系の高校だということだ。つまり、ここを下るともうバラトやフェネルといった地区に入るということだろう。

 

 

 チャルシャンバのクルアーン教室があれほど巨大な理由は、一説によるとこの地区のキリスト教徒やユダヤ教徒(の歴史)に対抗し、ムスリムの影響力を誇示するためだという。目と鼻の先にこのような建物があれば、その説明にも納得がいく気がする。

 お昼時になったので、バラト地区で甘いものでも食べようと丘を下る。

 

 

 歩いて5分程だろうか。金角湾を臨む坂を下ると、そこには眩いほどにカラフルなカフェ通りが広がっていた。

 

 

 冒頭に少し触れたように、1492年のレコンキスタによるグラナダ陥落以降、バラト地区は迫害から逃れてきたユダヤ人の住処となっていた。しかしながら、1942年に実施された富裕税により、彼らは経済的に厳しい状況に追いやられた。政府に対する信頼を失った彼らはイスラエルへと逃れ、バラトに取り残された住居は田舎から移り住んできたトルコ人により占拠されたという。そうした歴史を持つ家々は、今では綺麗に色を塗られ、観光客の耳目を集めるカフェ通りとなっている。

 私は適当なカフェに入り、コーヒーとチーズケーキを注文した。徒歩5分圏内に位置しているにもかかわらず、イスマイル・アーの人々がここに来ることは、おそらくない。

 私の住むイスタンブールの、まだ知らない部分、そしてこれ以上知ることのできない部分を、垣間見た気がした。

 

文:袴田玲

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袴田 玲

はかまた れい

袴田玲(はかまた・れい)
1997年静岡県生まれ、浜松北高等学校卒業。イランのアルムスタファー国際大学にてペルシア語・イラン=イスラーム文化・文明コース修了後、同志社大学神学部を卒業する。専門はペルシア文学、オスマン帝国の耽美文化。トルコのマルマラ・アナドル・イマーム・ハティプ高校で日本語教師として勤務する傍ら、アンカラ大学付属トルコ語学校にてトルコ語中級まで修了。現在はEDEP(イスラーム学卓越教育センター)奨学生。趣味で漫画を描く。

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