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「人間が描けている」という幻想。【森博嗣】連載「静かに生きて考える」第18回

森博嗣「静かに生きて考える」連載第18回


新型コロナのパンデミック、グローバリズムの崩壊、ロシアのウクライナ侵攻、安倍元総理の暗殺・・・何が起きても不思議ではない時代。だからこそ自分の足元から見つめなおしてみよう。耳を澄まし、よく観察してみること。森先生の日常は、私たちをはっとさせる思考の世界へと導いてくれます。「静かに生きて考える」連載第18回。


 

 

第18回 「人間が描けている」という幻想。

 

【デビュー作は散々だった】

 

 前回、さりげなくあからさまに小説のことを書いてしまった。「筆が滑った」というのか。リンクを滑るようにすうっと書きたいもの。すらすらよりも速そうな感じだ。

 さて、『すべてがFになる』は、今から27年まえの今頃(1995年11月)に書いた作品で、古いにもかかわらず、まだよく売れている。「衝撃のデビュー作」などといわれるけれど、そんなことは全然なかった。当時よりも今の方が売れているし、今の方が話題にもなっている。

 発行当時は、さして評判にならず、ましてベストセラでもなく、ベストテンにも入らず、もちろん「このミス」にも選ばれていない。評価は散々で、「こんなのミステリィじゃない」「人間が書けていない」などといわれた。ありがたいお言葉であり、思わずほくそ笑んでしまった。

 恨めしく思っているわけではなく、皮肉でもない。僕は、このような酷評が大好きだし、承認願望も皆無。逆に褒められると、きっとなにか下心があるのだろう、と警戒する。おかげで、詐欺の類に引っかかったことはない。

 ミステリィでありがちなのは、死体を見た程度で悲鳴を上げて騒ぐ人、不思議なことに憤り「どうなっているんだ!」と叫ぶ人、危ない場面なのに一人集団から離れようとする人、探偵の助手にしてはかなり頭の悪い人、刑事にしてはあまりにも頭の悪い人、何年も動機を隠して殺人を計画的に実行する人格、犯人が自白しただけで事件が解決したと安堵する人たち、身近で殺人が繰り返されるのに全然防げない人たち、などである。

 いずれも、現実にはありえない人々だけれど、おそらく、こういうのを「人間が書けている」と総称するのだろう。そういう変な人もいるにはいる。だが、異様に芝居がかっているし、伝統芸能っぽい。べつに悪くはない。趣味は自由だ。

 『F』は、少しずつ売れるようになった。ドラマ化やアニメ化したのは、実に刊行してから19年めと、20年めのこと。現在累計95万部くらい売れている。きっと、人間が書けていなくても許される時代になったのだろう。また、この作品には、「ミステリィに恋愛を持ち込むのは邪道だ」との批判もあったが、その後、ほとんどの作品で恋愛を大袈裟に持ち込むようになったように観察される。

 

【文学というのは何を描くのか?】

 

 描くのは、もちろん「人間」だろう。そうでなければ「社会」かもしれない。公開できない隠したい個人的な心理を描くのが、本来かもしれない。ハッピィなものは論外で、だいたいは悲しい、憎らしい、醜い、虚しい、寂しい、苦しい、といったストレスが描かれる。そういう部分に切り込んだ作品が良しとされているし、「人間が描けている」と評されるのだろう、と想像。

 でも、世の中、そんな人間ばかりではない。自分をコントロールし、信念を持ち、人に迷惑をかけず、少しずつ小さな自由や幸せを築くタイプの人も多い。我慢や苦労を重ね、平穏な日々を送っている。そういう人なら、馬鹿な真似はしないし、奇声を上げて騒いだりしないし、どんな仕事に就いても冷静な判断をし、人望を集めるだろう。このような人はけっして珍しくない。「そんな立派な人ばかりではない」とおっしゃるかもしれないけれど、割合として少数ではないという意味。

 そして、そんな平穏な人たちをリアルに描いても、「人間が描けていない」とたぶん酷評されてしまう。小説は、報道と同様に奇異なものを取り上げなければならないのか?

 もちろん、エンタテインメントなのだから、奇抜さが必要であり、非常識なものをあえて扱うことも理にかなっているとは思う。しかし、だからといって、それが当たり前で、そうでないものを排除するのは、一辺倒ではないか。

 反骨精神のようなものを描いたり、権力に一人立ち向かうキャラクタを描いたりする場合も一般的だ。多くは誇張され、美化され、そしてなによりも、人間味あふれる印象を付加しようとする。そう、それが「人間味」という添加物なのだ。現実の世界に生きる人に、はたして人間味はあるのだろうか? 僕なんかは、全然人間味がない、と自覚しています、はい。

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森博嗣

もり ひろし

1957年、愛知県生まれ。小説家、工学博士。某国立大学工学部助教授として勤務する傍ら、96年『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞し、作家デビュー。以後『イナイ×イナイ』から始まるXシリーズや『スカイ・クロラ』など多くの作品を執筆し、人気を博している。ほかにも『工作少年の日々』『科学的とはどういう意味か』『孤独の価値』『本質を見通す100の講義』『作家の収支』『道なき未知』『アンチ整理術 Anti-Organizing Life』など著書多数。最新SF小説『リアルの私はどこにいる? Where Am I on the Real Side?』、森博嗣著/萩尾望都原作『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』が好評発売中。9月21日に『新装版-ダウン・ツ・ヘヴン - Down to Heaven 』が発売予定。

 

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