「正しさ」の主張は、なぜ私たちを分断させるのか? いま世界で起きていること【大竹稽】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「正しさ」の主張は、なぜ私たちを分断させるのか? いま世界で起きていること【大竹稽】

「なぜカルトにハマるのか?」救済と信仰を問う【第4回】


安倍元首相銃撃事件から再び浮上した統一教会問題。宗教団体の政治との関わりや反社会的な活動の規制のあり方などをめぐってカルト規制法なるものも議論され始めた。一方で、そもそも人はなぜカルトにハマってしまうのか? この問いに向き合わねばならないだろう。「てらてつ(お寺で哲学する)」で有名な異色の哲学者・大竹稽氏が、「救済と信仰」を問いながら「カルトにハマるとは一体どういうことなのか?」について答えていく集中連載(全5回)の第4回。


旧統一教会の元2世信者の20代女性が7日、日本外国特派員協会で自らの体験を語り、「被害者や子どもの権利が守られる国であってほしい」と訴えた。会見中、教団側が女性の会見をやめるよう求める要請文を特派員協会に送っていたことが明かされた。(2022年10月7日)

 

 

◆分断の悲劇は食い止められるのか?

 

 これまでのおさらいをしましょう。宗教における誠実な「救済」は、逆説的ですが、他人を救おうとしないことです。「あなたを救う」教えなどありません。救いは、救われる側のものであって、救う側に求められるのではありません。教えではなく、ただ己の行いによって人々を導く。その結果、ただ結果として人々が救われるのです。

 行いに信が生まれます。「信じる」対象が神や仏なら宗教になり、他人なら信頼になり、そして自分なら自信になります。行いなき教えは、他人との信頼を挫き、自分自身を欺くことです。教えなき行いも問題をはらんでいますが、またいずれ。

 さて、教えには「わかる」ことが要求されます。わからないのならわからないまま洗脳する、これがカルトの手法です。「わかる」人間でなければならないという抑圧によって、わたしたちはカルトへと滑り落ちてしまうのです。しかし裏を返せば、「わからない」と上手に付き合えればカルトにハマることもないのです。

 この落とし穴は、宗教だけでなく様々な場面で認められます。

「わたしの教え(考え)こそ正しい」と「正しさ」を押し付けてくる人、近くにいませんか? 「わからない」を無視して、「わかる」にすがる。これは、言い方を変えれば「正しいことしか許さない」という考えです。

 歴史的に類のない世界規模の疫病禍、そんな中で日本では「コロナ警察」が発生しました。彼らは「間違いを正そう」と人々を監視します。彼らは自分が「正しい」と信じています。自分の正しさに迷いがありません。だから厄介なのです。その結果、言葉や暴力による攻撃が生まれてしまいました。本来は、疫病は人々を結びつけるはずです。そのモデルが『ペスト』での保健隊の面々でしょう。しかしこの災厄では、「正しさ」による攻撃が起こり、身体的にも精神的にも追い詰められる人たちがでています。

 そして、ロシアによるウクライナ侵攻。戦争には様々な背景があります。歴史的には、宗教も戦争のトリガーとなりました。今は筋が通らない「領土拡大」もまた、戦争の大義名分でした。戦争には、戦争をするための「正しさ」が求められます。侵略された側には、それだけで戦うための正当な説明ができますが、問われるのは侵略する側、発端となる側でしょう。ロシアの言い分は、わたしにはとても理解できません。ロシアに住んでいないですし、ロシアの血を受け継いでもいません。だから、「わからない」。それでも、「正しさで以ってウクライナを蹂躙している」という事実だけは認められます。

 「正しさ」が戦争をさせてしまうとは、なんとも不条理です。分断される限り、戦争や攻撃は免れないでしょう。問われるべきは、「なぜ、正しさがわたしたちを分断させるのか?」です。

 どちらかが完全に間違っているケースでは、分断は起こりません。分断される時は、そのどちらも「正しい」。ここが起点になります。ここを抜かした議論は、机上の空論になってしまいます。到底、行いにはなりません。

 しかし、それでも尚、わたしたちには「正しさ」が欠かせません。人間社会を成り立たせるには、正しさが要請されるのです。分断の原因となるのは、「正しさ」そのものではなく、「正しさへの姿勢」なのです。フランスが生んだ天才科学者パスカルは、正義についてここまで言い切っています。

「流行が好みを作るように、正義も作る」

 パスカルはこの発言によって、人間の弱さや愚かさへの自覚を促しています。彼は敬虔なカトリック教徒でした。永遠不変ではなく、人間の儚さへの自覚があってこそ、宗教が可能になるのです。

 わたしは「正義が流行である」とまでは断言しません。が、「正義は変わる」とは言えます。「正しさ」は主張・固守されるものではないのです。主張し是非で争う限り、結局は「正しくない」人たちへの攻撃になります。カルト教団の特徴である「他教団の攻撃」「教団への絶対服従」「批判的思考の禁止」、これらが「正しさ」の刷り込みであることは、腑に落ちるのではないでしょうか。

 さて、批判とは常に、自分自身を含む批判でなければなりません。

 わたしたちは、何を「わかっている」のでしょうか? わたし自身を省みますと、「わかった」が、実は「わかったふりだった」と気づかされます。「わからない」に素直になったほうがリラックスできます。他人へも寛容でいられます。強面で「正しさ」を主張する限り、分断は「固守」されてしまうのです。大いに非難されるべきは、「わからない」ではなく「わかったふり」です。この姿勢が生む分断は、まさに悲劇でしょう。

「正しさ」は主張されるものではありません。尊重されなければならないのです。ここが、融和へとつながる転回点になるはずです。

(第5回<最終回> 「分断から融和へII」に続く)

 

文:大竹稽

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大竹 稽

おおたけ けい

大竹 稽 (おおたけ けい)

1970年愛知県生まれ。東大理系、文系をへて、哲学の道に進む。専門はサルトル、ガブリエル・マルセルら実存の思想家、モンテーニュやパスカルらのモラリスト。2015年に東京港区三田の龍源寺で「てらてつ(お寺で哲学する)」を開始。現在は、てらてつ活動を全国に展開している。小学生からお年寄りまで老若男女が一堂に会して、肩書き不問の対話ができる場として好評を博している。著書に『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』(共著:中央経済社)、『60分でわかるカミュのペスト』(あさ出版)、『自分で考える力を育てる10歳からのこども哲学 ツッコミ!日本むかし話(自由国民社)など。編訳書に『超訳モンテーニュ 中庸の教え』『賢者の智慧の書』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)など。僧侶と共同で作った本として『つながる仏教』(ポプラ社)、『めんどうな心が楽になる』(牧野出版)など。哲学の活動は、三田や鎌倉での哲学教室(てらてつ)、教育者としての活動は学習塾(思考塾)や、三田や鎌倉での作文教室(作文堂)。

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