さらにヨーロッパ人たちは、日本に鉄砲という新兵器をもたらした。これを織田信長が効果的に用いたことにより、多くの大名が競って鉄砲や大砲を求めるようになった。
 ただ、武器や文明の利器以外にも、大きく日本人の意識を変えたものがある。
 そうキリスト教だ。これまでの神道や仏教とは大きく異なる一神教の教えは、日本人にとってやはり衝撃だったはず。しかもその教えは、宣教師たちが病院や学校をつくり、炊き出しなどしながら伝えていったので、庶民のあいだに急速に広まっていった。結果、キリシタン(キリスト教の信者)は、たちまちにして数十万人に増えた。
 これを脅威に感じたのが、天下人・豊臣秀吉である。
 キリシタンがゼウスなる絶対唯一神しか信じぬゆえ、神社・仏閣を破壊している事実、長崎の地がイエズス会を通じてローマ教皇のものになった事実、さらに日本人がポルトガル商人などによって奴隷として海外に売られている事実を知ったのだ。
 そこで秀吉はバテレン追放令を出し、キリスト教の宣教師を駆逐しようとした。ただ、南蛮貿易はそのまま継続させたので、その命令は徹底されなかった。
 いずれにせよ、ヨーロッパ人の来航によって、戦国時代、日本人の認識する世界は大きく広がり、自ら東南アジアに渡って交易を行う日本人も急増していった。東南アジア各地には、日本人が自治をおこなう日本町も続々と誕生する。タイのアユタヤ王朝では、山田長政という浪人を重臣に抜擢するまでになっている。おそらく名前は残っていないものの、海外で活躍した日本人は少なくなかったろう。

グローバル化する日本

 また、戦国大名や天下人のなかには、アメリカ大陸やヨーロッパに使節団を派遣する者も出てくる。
 大友宗麟・有馬晴信・大村純忠の三キリシタン大名は、四人の少年をローマに派遣した。同じく伊達政宗も支倉常長をヨーロッパに派遣。徳川家康も京都の商人田中勝介をメキシコに送ったのだった。日本人は世界を知ったが、世界の人々も日本人の存在を知ったわけだ。
 このように、ヨーロッパ人の来航によって世界認識を変えた日本人だったが、それがやがて大戦争を生み出していくことになった。
 豊臣秀吉は日本を手中におさめると、明国の支配を企むだけでなく、高山国(台湾)、マニラのスペイン政庁、さらにはかつてはイメージさえできなかった天竺(インド)のゴアのポルトガル政庁に対し、「服属と入貢」を求めた。
 主君織田信長の死からわずか八年で天下を統一してしまった秀吉は、きっと自分なら世界も統一できるのではないかと考えたのかもしれない。
 しかし、明国討ち入りへの先兵を命じた朝鮮が秀吉に従わなかったため、秀吉は手始めに朝鮮征伐を始める。が、戦いは泥沼の様相を呈し、朝鮮に大きな被害を与えるとともに国内を疲弊させ、豊臣政権の衰亡を早める結果になったのである。
 いずれにせよ、戦国時代は日本人のグローバル化が進んでいったのである。