中古品と仕掛け品の人生【森博嗣】連載 「静かに生きて考える」第14回
森博嗣「静かに生きて考える」連載 第14回
新型コロナのパンデミック、グローバリズムの弊害、ロシアのウクライナ侵攻、安倍元総理の暗殺・・・何が起きても不思議ではないと思える時代。だからこそ自分の足元を見つめ、よく観察し、静かに考えること。森先生の日常は、私たちをはっとさせる思考の世界へと導いてくれる。連載第14回。
第14回 中古品と仕掛け品の人生
【材料と部品を工面し工夫する】
子供の頃、粗大ゴミ置き場によく遊びにいった。今は、危険なのできっと許されないだろう。壊れたもの、何に使ったのかわからないものなど、見るだけでも楽しかった。
電気屋さんと呼ばれる小売店が当時どこにもあった。店の横には、テレビやラジオなどが廃棄されていた。小学生の僕は電気屋さんと仲良くなり、それらガラクタの中から抵抗やコンデンサなどの電子部品を取り出す許可をもらった。そういった部品でラジオや無線機などを作ることができた。今では信じられないかもしれないが、当時の小学生は、そのくらい「科学技術」に憧れていたし、高い技術力を持っていた。
ガラクタは、新しいものを作るための「材料」だった。廃品から取り出すことができ、新たな働きを担う「部品」も数多くあった。
ただ、どうしても買わなくてはいけない材料や部品がある。お小遣いを工面しても、簡単には手に入らない。ずばり欲しいものが高ければ、同じような機能を持つ中古品を探すしかない。融通が利く材料や互換性のある部品を活用し、なんとか作り上げる。このような環境が臨機応変な能力を育む、のかもしれない。
現在は、なんでもずばりの新品が買える。ネットで取り寄せられる。本当に便利になった。しかも、とにかく安い。僕が子供の頃よりもずっと安価なのだ。これは素晴らしいことだけれど、「科学技術」に目を輝かせる子供たちは減っているだろう。
【ジャンクに目を輝かせる少年】
中学生になると、地下鉄で都心の学校へ通う日々となり、電波科学研究部にも籍を置くことになった。中高一貫の学校だったので、高校生の部員もいるから、先輩たちから教えてもらえる情報がとても貴重だった。
まず、ジャンク屋という店を教えてもらった。繁華街のビルの3階にあって、小さな「◯◯商会」の看板しか出ていない。狭い階段を上っていくと、通路にまで溢れるガラクタの山。その多くは米軍の払下げ品を解体したもので、通信機や測定器、あるいは航空機の部品だった。近所の電気屋のガラクタとはレベルが違う。毎日のように通って、そのガラクタの山をかき分け、使えそうなものを探した。
一方、この頃になると、新品の無線機などが発売になり、電子パーツ店に飾られていた。それらは、とにかく高かった。完成した製品は数十万円だったから、パーツを集めて自作した方がずっと安い。できるだけジャンクから調達した部品を利用し、どうしても足りないものだけ買っていた。
ちなみに、この頃の無線機よりもはるかに高性能のものが、今では数千円で買えてしまう。また、その当時は「リサイクル」という言葉がまだ普及していない。「廃品再利用」も、マニアックな響きだった。壊れたものは捨ててしまう、そのまま埋めてしまう、という時代だったのだ。ジャンクから新しいものを作るのは、趣味の一つの「価値」でもあった。
- 1
- 2