学校は“何でも請負業”か? 家庭・学校・地域から失われていく「自立性」と「教育力」【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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学校は“何でも請負業”か? 家庭・学校・地域から失われていく「自立性」と「教育力」【西岡正樹】

文科省主導の「教育改革」が、つねに失敗する最大の理由


いま文科省は「コミュニティースクール」を謳い、推進している。地域、家庭、学校が連携し、協力しながら子どもたちを皆で育てていくことが大事なのだという。その構想は実に正しい。むしろ当たり前のことだ。しかしいま、それができていない。なぜなのか? 家庭、学校、地域という子どもたちを取り巻く大人の環境に根深い問題がある、と小学校教師歴40年の西岡正樹氏は語る。お題目はもういい。子どもを守り育てていく環境の「現実」を見よ。


子どもを教育する環境は、「家庭」「学校」「地域」である。そしてそれぞれに自立性があってこそ、3者は真に連携し、協力しあえるのではないだろうか。

 

■学校は、子どもを一日中管理・監督するところではない

 

 「いつからこのようになってしまったんだろうか」

と時々考えることがある。今も昔も、子どもたちは、学校と家庭、そして地域を学びと生活の場とし、それぞれの場でそれぞれの顔を見せながら、多くの人と繋がり生活している。学校から離れ、それぞれの家庭や地域にいる時にも、それぞれの環境の中で人やもの、そして、出来事から多くを学ぶ。また、その場で起きた様々な問題は、それぞれの場で、それぞれの人間関係の中で、自ずと解決されていきました。

 30年ほど前になるのですが、こんなことがありました。

 私が担任していた4年生の子どもが2人、大変なことをしでかしました。なんと、後先を考えられない男の子たちは、停まっている車のタイヤを錐のようなもので、穴をあけてしまったのです。そして、運よく(結果的に)、車の持ち主に現行犯で捕まったのです。

 車の持ち主は、2人から家の電話番号を聞き出し、それぞれの家庭に連絡をしました。そして、それぞれの親に来てもらい弁償することで、また、二度とこのようなことはしないという子どもたちの言葉を信じ、寛大に事を終わらせたのです。私がこのことを知ったのは、わが子がこのようなことをしでかして、これからどのように教育すればいいのか悩んだお母さんからの知らせでした。

 この時のように、学校、家庭、地域がそれぞれ自立していれば、それぞれの場で起きる問題のほとんどは、それぞれの場で解決され、自己完結してきたのです。ところが今、自己解決できない現象があちこちで起きています。学校、家庭、地域、それぞれの場で起きた問題を、それぞれの場で自己解決することができなくなっているのです。

 

 とある学校の学区内にある本屋さんで、ひとりの小学生が万引きをしました。

 昨今、学校とは直接関りがないと分かっていても、何故かこういう時にも学校に連絡が来る。その時も例外にもれず、学校に連絡が来たのです。しかし、このような事が起きて、学校に連絡が来たとしても、保護者とお店との間で大方処理されているので、学校でやるべきことはほとんどありません。

 万引きが起きた時、本屋さんは当然、子どもの家庭に連絡をし、事のいきさつを話し、適切な行動をとるように促すでしょう。また、そのように連絡があれば、子どもの保護者もそれ相応の対応をとるにちがいありません。こうした一連の動きの中に、学校が関与する余地はあるはずもないのですが、多くの事業者は、事の顛末を学校に知らせてくるのです(このようなことは、およそ30年前にはありませんでした。前述したように地域で起きたことは地域で自己解決していた。我々が子どものころは、親さえ知らずに解決することもあったものです)。

 この時はさらにびっくりするようなことが、起きたのです。

 学校としては、放課後に起きたことであり、本屋さんから学校に連絡があっても、すでに保護者の対応ができていることなので、学校として対応することはないと当然判断します。もしも、家庭から知らせが来て、「このような事実がありましたのでお知らせします」と言われたとしても、親からの要請がない限り、あらためて子どもに話を聞くことはしません。なぜなら、家庭においてそれ相応の対応をしていることであり、子どもに二重の負荷をかける必要がないからです。

 このような考えのもと、学校は本屋さんからの話を聞くだけで、それ以上の対応をしませんでした。すると、なんと再び本屋さんから電話が入ったのです。

 「○○小学校の子どもが万引きしたのに、どうして学校から謝りに来ないんですか」

 もし、この電話を私が受けたならば、どのような対応ができるだろうか、相手が納得するような言葉を返す自信がありません。「学校は子どもが学ぶ場であり、学校で子どもに何かあった場合の責任は当然学校にある。しかし、子どもを一日中管理・監督するところではない」ということを本屋さんは分かっていないのです。また、「子どもを保護し、育てる責任は家庭にある」ということも忘れているのです。

 この話を聞いた時には、社会にはびこる「依存心」はここまできているのか、と愕然とする思いでした。しかし、学校の対応として、教頭は本屋さんに足を運び、謝りを入れたのです。

 このようなことがあると、この本屋さんに限らず、「子どもに関わることは学校が何とかするし、しなくてはいけないし、して当然でしょう」と思っている人たちが、世の中の大勢を占めているように感じてしまいます。これは、教師の被害妄想でしょうか。

 

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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