世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第8回】「動物探偵はカメを抱える」〈田中真知×中田考〉 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第8回】「動物探偵はカメを抱える」〈田中真知×中田考〉

田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第8回】

「リリカさん! いつ帰国されたんですか」

 あっけにとられるレイの前に立っていたのは、つなぎの服を来て、スーツケースを引いた大柄の女性だった。

「今日。空港から直接来たの。あいかわらず、ボロい病院ね。レイ、元気でやってる?」

 リリカさんと呼ばれた女性はサングラスをはずした。

 「はい、まあ、なんとかやってます」

 リリカはにこりともせず、射るような鋭い目でまっすぐレイを見つめた。怒っているわけではない。リリカはそういう人なのだ。

 それでも、その容赦ない視線を浴びていると、心の底まで見透かされそうな気がした。

 最初に会ったときもそうだった。レイが看護学校の学生だったとき講演会があった。講師として招かれたのは180センチ近い大柄の看護師だった。壇上に立った講師は、にこりともせず会場の学生たちを睥睨した。それがリリカだった。

 「紛争地における医療と看護」といったような講演テーマだった。血だらけの傷口の写真などには見慣れていたはずだったが、リリカが見せてくれた映像は、想像を絶した。

 びっしりとウジが湧いた患部、爆発物で吹き飛んだ手足。多くの学生が顔をしかめたり、目を背けたりしていた。興奮して食い入るように画像を見つめていたのは交通事故フェチのスズメくらいだった。

 講演後「質問のある方は」といわれたとき、レイは思わず手を上げた。なにを聞いたのかはもう思い出せない。覚えているのは、質問している最中、リリカが自分をじっとにらみつけていたことだ。レイはどぎまぎして途中からしどろもどろになってしまった。あのときと同じだった。

「まあ、いいわ」

 そういうとリリカはスーツケースを引いて大股で更衣室の方へ歩き出した。レイは小走りであとを追った。

「リリカさん、3年ぶりくらいですね」

 リリカは突然立ち止まった。

 レイの呼びかけには答えず、あたりを見回すと

「むむむむ」とうなった。

 リリカは奥の休憩コーナーをにらみつけた。視線の先に飲み物の自動販売機があった。

「どうしたんですか?」

 レイがおそるおそるたずねた。

「熱い」

「夏ですから……」

「そうじゃない。さわってみな」

 リリカはレイの手をとると自分の頭の上にのせた。熱いというより、電流のようなぴりっとした刺激が伝わり、思わずレイは手を引っ込めた。

「このあたり、なにか感じる……最近なにか変わったことあった?」

「いや、べつになにも……」

 そういってからレイは、リュウが「自動販売機のところにヤギがいた」といってたというのを思い出した。でも、そんなのは妄想だ。

 リリカはしばらく目を閉じていた。

 それからばっと目を開けると、

「危険な感じじゃないから大丈夫か」

 といった、また大股に歩き出した。

 以前リリカが鶴亀病院にいたのは、3年以上前だった。日本と海外の紛争地を往復しながら看護師をしていたリリカは半ば伝説的存在だった。

 レイが鶴亀病院に勤めたのも、看護学校時代に出会ったリリカの存在感に衝撃を受け、この人のいるところで働きたいと思ったからだった。

 レイが就職して半年もしないうちに、リリカはまた海外へと旅立ってしまった。それでも半年の間に、レイは、リリカが修羅場をくぐってきた看護師というだけにとどまらないことに気づいた。

 病棟の廊下を通ると、リリカは口の中でぶつぶつ呟いた。よく聞くと、1とか3とか7という数字だった。

 「リリカさん、さっき病室の前で〈3〉て呟いてましたけど、どういう意味ですか?」

 あるときレイは思い切ってそうたずねた。

 リリカは、いつものようにレイをじっと見ると、

「あと3日ってこと」といった。

「あと3日って?」

 リリカはそれ以上なにもいわなかった。

 3日後、その病室の患者が亡くなった。

 順調に回復しているように見えていた患者だった。

「そういえばスズメはどうしてる?」

 歩きながらリリカがいった。

「はい、ER(救急救命室)で元気にやっています」

「そう、あとであの子に伝えることがあるの」

次のページアスラン、さっきいってたビジネスの話なんだけど

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第1章  あなたが不幸なのはバカだから

承認欲求という病
生きているとは、すでに承認されていること
信仰があると承認欲求はいらなくなる
ツイッターでの議論は無意味
教育するとバカになる
学校は洗脳機関
バカとは、自分をヘビだと勘ちがいしたミミズ
答えなんかない
あなたが不幸なのはバカだから
「テロは良くない」がなぜダメな議論なのか
みんなちがって、みんなダメ
「気づき」は救済とは関係ない
賢さの三つの条件
神がいなければ「すべきこと」など存在しない
勤勉に働けばなんとかなる?

第2章  自由という名の奴隷

トランプ現象の意味
世界が「平等化」する?
努力しないと「平等」になれない
「滅んでもかまわない」と「滅ぼしてしまえ」はちがう
自由とは「奴隷でない」ということ
西洋とイスラーム世界の奴隷制のちがい
神の奴隷、人の奴隷
サウジアラビアの元奴隷はどこへ?
人間の機械化こそが奴隷化
人間による人間への強制こそが問題

第3章  宗教は死ぬための技法

老人は迷惑
老人から権力を奪え
老人は置かれ場所で枯れなさい
社会保障はいらない
宗教は死ぬための技法
自分に価値がない地点に降りていくのが宗教
もらうより、あげるほうが楽しい
お金をあげても助けにはならない
「働かざる者、食うべからず」はイスラーム社会ではありえない
なぜ生活保護を受けない?
金がないと結婚できないは噓
結婚は制度設計
洗脳から逃れるのはむずかしい
幸せを手放せば幸せになれる

第4章  バカが幸せに生きるには

死なない灘高生
寅さんと「ONE PIECE」
あいさつすると人生が変わる?
視野の狭いリベラル
夢は叶わないとわかっているからいい
「すべきこと」をしているから生きられる
バカが幸せに生きるには
三年寝太郎のいる意味
バカと魯鈍とリベラリズム
教育とは役立つバカをつくること
例外が本質を表す
言葉の暴力なんてない
言論の自由には実体がない
バカがAIを作れば、バカなAIができる
差別と区別にちがいはない
あらゆる価値観は恣意的なもの
『キングダム』の時代が近づいている
人間に「生きる権利」などない

第5章  長いものに巻かれれば幸せになれる?

理想は「周りのマネをする」と「親分についていく」
自分より優れた人間を見つけるのが重要
身の程を知れ
長いものには巻かれろ
ほとんどの問題は、頭の中だけで解決できる
権威に逆らう人間は少数派であるべき
たい焼きを配ることで生まれる価値
大多数の人にコペルニクスは参考にならない
為政者が暗殺されるのはいい社会?
謙虚なダメと傲慢なダメはちがう
迫害されても隣の人のマネを貫き通す

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田中真知×中田考

たなかまち,なかたこう

作家,イスラーム法学者

田中真知 たなか・まち

作家、翻訳家。あひる商会代表。一九六〇年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。一九九〇年より一九九七年までエジプトに在住。アフリカ・中東各地を取材・旅行して回る。著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編)、『ある夜、ピラミッドで』、『孤独な鳥はやさしくうたう』、『美しいをさがす旅にでよう』、『たまたまザイール、またコンゴ』(第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞)旅立つには最高の日』、『増補 へんな毒 すごい毒』、訳書にグラハム・ハンコック『神の刻印』、ジョナサン・コット『転生 古代エジプトから甦った女考古学者』など。現在、立教大学講師も務めている。

 

 

 

中田考 なかた・こう

イスラーム法学者。一九六〇年生まれ。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、二〇代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。近著に『イスラームの論理』、『イスラーム入門』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『みんなちがって、みんなダメ〜身の程を知る劇薬人生論』、『タリバン 復権の真実』など。

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