新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【7品目】「天丼」と「うどん天」と「シマ」
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」7品目
今はなきウチの実家の食堂にも符丁はあった。「ヤマ」とか「セキマエ」のような飲食業界共通の符丁とは別に、ローカルルール的な符丁もある。私が子供ながらに聞いて覚えているのは、やはり注文を調理場に通す際のものだ。基本は略称で、たとえば魚天ぷら定食なら「ぎょーてんてい」、野菜天ぷら定食は「やーてんてい」、肉いためなら「にくいた」、野菜いためなら「やいた」といった具合である。ウチは(インチキながら)寿司もやっていたので、のり巻き一本なら「まきぽん」、バッテラ一本なら「てらぽん」と言っていて、今ならアイドルの呼称のような、ちょっとかわいい響きである。
しかし、同じ略称でも、天ぷらうどんは「天うどん」ではなく「うどん天」、肉うどんは「うどん肉」と言っていた。なぜかといえば、「天丼」「肉丼」との混同を避けるためである。天ぷらそばなら「そば天」だ。基本的に丼もの優位の呼称だが、麵類だとうどんとそばの区別があるので、それを明確にするためにも「うどん天」「そば天」といった逆順の呼び方のほうが間違いが少ない。鍋焼きうどんのように、ほかに混同するアイテムがない場合はそのまま略して「鍋焼き」だし、うどんとそばの区別があっても丼物とかぶらなければ「こぶうどん」「こぶそば」のように正順だった(「こぶうどん」は「こんぶうどん」の略。余談だが、東京五輪記録映画で何かと話題の河瀨直美監督が、近所の専門学校に通っていた時代によく食べていたらしい)。
そんななか謎だったのが、ごはん(ライス)のことを「シマ」と呼んでいたことだ。大盛りなら「大(だい)シマ」、小盛りなら「小(しょう)シマ」。幼い頃の夏休みとかの朝ごはんには、よく玉赤(ぎょくあか:赤だしの味噌汁に玉子を落としてポーチドエッグ風にした裏メニュー)と小シマを食べていた。【1品目】で書いたとおり、ウチのごはんは店のメニューから注文するシステムだったので、中学高校時代も「肉いためとシマ」「焼き魚とシマ」など、何の疑問もなく注文していたが、今にして思えば「シマって何なの?」って話である。
大阪で外食していたときも、よその店で「シマ」とは聞いたことがなく、ネットで検索してもよくわからない。父親が存命のうちに聞いておけばよかったのだが、その機会がないまま父は他界。今年の正月に今さらながら母に聞いてみたら「堂島のシマや」と言うのだが、いやいやいや! 確かにウチの店があった大阪の堂島地区は江戸から明治時代にかけて米取引所として栄えた土地であり、我が母校の堂島小学校(今はもうない)の校章は稲穂だし、北原白秋作詞の校歌にも「名に負う米市」「徽章は垂り穂よ」というフレーズがある。が、発音としては「どうしま」ではなく「どうじま」だ。それがなんで「シマ」になるのか。
まあ、だいたい親の言うことは適当だし、ウチの母もだいぶ認知が怪しくなっているので、本当のところはわからない。自分の推測としては「白米=白まんま」の略で「シマ」かと思っていたのだが、真相はいかに? 「ウチでもシマと言っていた」「由来を知っている」という飲食業界の方がいれば、ぜひお知らせいただきたい。
文:新保信長
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