「ち~す! まいどです」

「石川ちゃん、どもっす。

 日本列島、三月は梅が去るひとを見送り。四月は桜花が、来るひとを迎える。美しき哉」

「店長。いきなりなんすか。いろいろ、お疲れっぽいすね・・・・」

「昨日の日曜は、昼まで寝てようと思ったら内山くんに電話で起こされたっス!

『店長、野茂が完全試合ばい!』って、こっちゃ個人的にノートパソコン買ってから寝不足気味なんすよ」

「相変わらずっすね。

いま、お店にはいる時に看板が見えたんですけど。リリー・フランキーさんデザインの看板、ブックカバーとお揃いでいいっすねぇ~」

「リリーさんのブックカバーにして4か月、好評!

お客さんから『素敵ですね。デザインは誰なんですか?』って質問にお答えして、リリーさんの本の販売にも繋がったりしてね。そこに看板って、追い風でしょ?!」

「ところで店長、大阪屋に行ったんですって?」

「そっか、顔見知りの版元さん数人に出くわしたからさ。噂になってるの?」

「そっすよ。店長とりえさんが大阪屋見学って、文庫センターは確か取次は日販だから帳合変更かって。

さすがの文庫センターも厳しいのかなと、業界狭いから伝わるの早いっすよ!」

ボクが書泉に入った頃、70年代初頭の書店数は全国に約28,000店といわれていた。それが30年経ったいまでは、約21,000店にまで減っている。

驚くほど減ったとはいえ、それだけの数の本屋に約4500社の出版社の出版物を届ける問屋が取次という業態。

流通の機能を果たしながら、併せ持つのが金融機能。本屋に代わって出版社から集金をしてくれるわけだが、本屋の売上げと返品のバランスと店頭在庫の数字をシビアに管理している。

本屋が儲けていれば、下から目線だけど。儲からなくなってくると、上から目線って怖い存在だったのだ。

 

「店長、あれも万引きなんじゃない!」

「写メで、撮るか・・・・

『ぴあ』みたいな情報誌は、必要なところを写したら買う必要ないもんな。完全に情報の万引きだよ!」

写真は『ぴあ』創刊号の復刻版です。名画座に頻繁に通っていた当時、時間割は映画館に電話するしかなかったので衝撃の創刊号でした

「『ぴあ』の、平積みの高さが低くなるわけですよね」

思い返せば、旧文庫センター時代の80年代は『ぴあ』は山積みで他にストックを持っていたほどだった。

高円寺のようなアートシーンに敏感な連中にとって、必須アイテムが情報誌としての『ぴあ』。

映画好きなボクにとって、殊のほか思い入れの深い雑誌だった。映画を観まくっていた70年代、映画情報は新聞頼りで映画館に電話して上映時間を確認のうえ、一週間の予定を立てていた。

書泉に入社して半年後だろうか、ブックマートの4階で映画関係も担当していた頃に明治大学の学生たちが作ったと持ち込んできたのが『ぴあ』。まだペラペラで100円!

煩わしさを、ビジネスに収斂した!

「店長。なんか、物思いに耽ってません?!

情報万引き犯、とっくいませんよ!」