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新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【5品目】ハンバーグ記念日

【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」5品目

 そんななか、あのゴルフ練習所で初めて食べて以来の衝撃を受けたのが、当時住んでいた小田急線・経堂駅近くにあったシブい喫茶店のハンバーグだ。フランスの小説家の名前を冠したその店のハンバーグは、それまで食べたことのあるハンバーグとは別物だった。おそらく、つなぎ的なものを使っていない肉々しい歯ごたえ。焼き具合も絶妙に香ばしくジューシーで、ドミグラスソースも別物だった。目玉焼きはのってなかったが、付け合わせにクレソンがあり、それも初めて食べる味だった。

 今食べたら普通の味なのかもしれない。が、当時としては最先端だったように思う。パスタがスパゲティと呼ばれ、種類もミートソースかナポリタン、和風たらこぐらいしかなく、かろうじてカルボナーラが出てきたかどうかという時代。ファミレスも増えてきてはいたが、それなりの味でしかなかった。そのなかにあって、あの経堂の喫茶店のハンバーグは、私の中では別格の味だった。誰の心の中にも、そんな“マイベスト・ハンバーグ”があるのではないか。

  それから40年近くの月日が流れ、経堂の喫茶店もとっくにない。経堂のあと二十歳からずっと住んでいる下北沢界隈でも、老舗の定食屋や洋食屋は軒並み閉店してしまった。こっちも年を取って、あんまり「がっつり肉!」という感じでもなくなっている。なので、積極的にハンバーグを食べることもないのだが、先日たまたまお昼にハンバーグ推しの店に入った。本当は別のカレー屋に入るつもりが行列ができていたのでやめて、なじみの定食屋に行ったら休みで、どうしたもんかとブラブラしてたら、その店が目についたのだ。

 コロナ禍に新規開店して「頑張れ」とは思っていたが、時短や禁酒の状況下で入る機会がなかった。白を基調にしたオシャレなインテリアで、ほぼカウンターのみ。ディナータイムには生ハム食べ放題をやってるらしく、目の前に生ハムの原木がドーンと鎮座している。生ハムなんてそんなに食えんだろうと思うが、若者にはうれしいのだろうか。

 肝心のハンバーグは、令和の基準では普通だった。牛ではなくポーク100%でハモンセラーノ入りとのこと。3種類から選べるソースは、チーズトマト、シェリークリーム、青ネギ醤油でドミグラスがないのは残念だった。思い出補正が入っているとは思うけど、あの経堂のハンバーグにはやはり及ばない。むしろ付け合わせのパスタのほうがうまかったが、もともとパスタが専門の店のようで、なるほど納得。

 そして、その日の夕食というか晩酌時。コロナ禍のせいで家呑みが増え、その日も外食ではなく家呑みだったのだが、「お昼はあの店に初めて入ってハンバーグ食べた」という話をしたら、妻が沈痛な面持ちで「……残念なお知らせがあります」と言うではないか。え、いったい何事!? 呑気にハンバーグの話とかしてる場合じゃなかった? と思ったら、「今日はこのあとハンバーグが出てきます」と言うのだった。

  いやいや、それは全然大丈夫。同じハンバーグでも、作る人によって味は違うし、2食ぐらいカブってもノープロブレム。作ってくれたものは何でもおいしくいただきますよ……なんてことを言いながら、実際おいしくいただいた。 

 が、話はそこで終わらない。最近は寝る前の息抜きとして、インターネットの英単語推理ゲーム「Wordle」をやるのが日課となっている。5文字の英単語を当てるゲームで、一日一回しかできず、お題は全員共通というところがミソだ。その日も食後にツイッターなどチェックしたあとWordleをやり、ついでに同じようなルールで日本語の単語を当てる「ことのはたんご」というゲームもやった。そしたらなんと、正解の単語が「ハンバーグ」だったのだ。

 日本語ゲームで「ハンバーグ」が正解って……と思ったが、それよりここでまたハンバーグが出たことに驚いた。一日三回のハンバーグとの遭遇。これはもう「ハンバーグ記念日」と呼んでいいのではないか。俵万智の「サラダ記念日」のような歌にはできないけれど、そんな小さな偶然にちょっと笑ってしまった一日だった。

 

文:新保信長

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新保信長

しんぼ のぶなが

流しの編集者&ライター

1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。単行本やムックの編集・執筆を手がける。「南信長」名義でマンガ解説も。著書に『国歌斉唱♪――「君が代」と世界の国歌はどう違う?』『虎バカ本の世界』『字が汚い!』『声が通らない!』ほか。南信長名義では『現代マンガの冒険者たち』『マンガの食卓』『1979年の奇跡』など。新刊『漫画家の自画像』(左右社)が絶賛発売中です!

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