新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【4品目】あの素晴らしい寿司屋をもう一度
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」4品目
そこで見つけたのが、某寿司屋だった。三叉路の角地のような場所にあり、のれんの隙間から見える三角のカウンターは立ち呑み屋のような風情。この店構えで寿司!? と思ったが、地元で愛されている店特有のオーラを感じて入ってみた。
「へらっしぇー(訳:へい、いらっしゃい)」という威勢のいい声に迎えられ、カウンターの席に着く。一応メニュー的なものはあった気がするが、面食らったのは注文後だ。注文すると、目の前のカウンターにプラスチックのプレートが置かれる。何と説明していいのかわからないが、コインロッカーのカギに付いてるような、端っこに穴の開いた小判型のプレートだ。「これは…?」と聞いたら、「あー、そこに差しといてー」とのことで、ふと見れば席ごとに伝票差しが置いてある。要は(タッチパネル普及以前の)回転ずしにおける皿のように、プレートの色と枚数で会計をするシステムなのだった。
明らかに一見客な我々に対し、最初は板前さんも「どちらから?」みたいな手探りな感じだったのが、「東京からですー。ゆうても、もともと大阪で。今日は甲子園行くはずやったんスけど、中止んなってもうてー」「そら残念やったねー。まあ、阪神もここんとこアレやけど、大阪のどこなん?」「実家は梅田っちゅうか堂島の食堂なんスよ。今はもう閉めてもうたんですけど」とか言ってるうちに、どんどんなじんでくる。普段は大阪弁をしゃべることはあまりないが、いざとなったらネイティブにしゃべることはできるのだ(たぶん今の若い人とは違う昭和の大阪弁ではあるが)。
ひらめ、真鯛、たこ、赤貝、あじ、中トロ、穴子あたりを食べただろうか。ネタもシャリも小ぶりで、中年にはありがたい。味は、旅先フィルターを差し引いてもおいしかったし、高級店とは違った意味で素材を生かす仕事ぶりが好ましかった。お酒はもちろん日本酒を飲んだが、店も客も銘柄とかどうでもいい感じで、その適当さがちょうどいい。値段も(そんなに量を食べてないとはいえ)「こんなんでいいんスか!?」というレベル。大満足でホテルに戻った我々であった。
それから何度も甲子園には行っているが、その店に行くことはなかった。試合が長引いて阪神梅田駅近くの「ぶらり横丁」(今はもうない)でサクッと飲んで済ませたり、前泊で鶴橋の焼き肉を堪能して翌日のデーゲームを見てそのまま東京に帰ったり、梅田ではなく神戸・三宮に泊まることもあって、なかなか東通り商店街の奥に足を運ぶ機会がなかったのだ。そもそも場所がどこだったかも正確には覚えていない。
そこにコロナ禍がやってきた。近所の外食すらままならないなか、「東京から甲子園に野球を見に行く」なんてことは、とてもじゃないができなくなった。年に1回ぐらいは行っていた温泉旅行にも行けず、映画や芝居やコンサートにもなかなか行きづらい。そうなると、夫婦の話題に上るのは過去の楽しかった思い出だ。
「伊豆のあの旅館のごはんはおいしかったねえ。お風呂もよかったし」
「能登のカニもすごかったよね。旅館の目の前の崖が崩れてたのもすごかったけど(笑)」
そんな話をしながら、ふと思い出したのが例の寿司屋だった。「あの店、面白かったしおいしかったよね」「また行きたいね」と言いつつ、いろいろ検索してみたが見つからない。店名がわからないので、「梅田」「寿司」「プレート」などのワードで検索したり、Googleマップで「このへんだったはず」という場所を調べたりするも、それらしき店が出てこない。
あれは幻だったのか? いや、そんなはずはない。調べ方が悪いのか、場所を記憶違いしているのか、すでに閉店してしまったのか。にしても、こんなに特徴的な店なのだから、何かしらの情報が出てきてもよさそうなものだが……。
ここまで読んで「ああ、あの店ね」とピンとくる人もきっといるはず。コロナが収束したらぜひもう一度行ってみたいので、店名その他、心当たりの情報ありましたら、ご一報のほどお願いします。
文:新保信長
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