【新連載エッセィ】森博嗣「静かに生きて考える」第2回
第2回 一人で楽しんでいることいろいろ
【ゲームはしなくなった】
コンピュータ・ゲームに夢中になった時期がある。80年代後半から90年代だったか。自分でもゲームを作ろうとした。いくつかは完成して周囲の友人たちに配った。その後、小説家になってからは、ゲームから遠ざかった。時間がなくなったためだが、入れ替わるように、世間でゲームが普及していったように思う。
僕の奥様(若い頃に苦労をかけたので、あえて敬称)の父上は、会社を定年退職したのちゲームを趣味にされている。それ以外には目立った活動をしていないようにお見受けする。コンピュータは老後にはもってこいだ、と何度か書いたけれど、ゲームもこれに含まれる。運動不足になるという欠点はあるものの、過度に体力を消耗することもなく、膝や腰が痛くても楽しめるし、なによりも手軽で経済的だ。頭の運動になるので、その点でも良い効果が見込める。義父は90代だが、今もお元気そうだ。会社員だった時間より、ゲームをしている時間の方が長くなるかもしれない。
ギャンブルもゲームだろう。スポーツもゲームの一種だと認識している、僕はギャンブルもスポーツもしない。20代くらいまでで卒業した。夜に飲みにいくのもゲームかもしれない。これは30代で卒業した。友人とラインをやり取りしたり、ツイッタに没頭するのもゲームだと思う。これは入学しなかった。世の中は、だんだんゲームの世界へシフトし、ヴァーチャルに近づいている。悪いことではない。
世界中で勃発している争いも、すべてヴァーチャルの中で戦い合えば良いのに、と思うことがある。まだまだ、人間は現実の物体(土地や人も含む)に取り憑かれているのだ。
そういう自分も、庭で土を掘って、線路の工事をする。手は汚れ、躰は疲れる。楽しみをヴァーチャルで再現できたとしても、疲労などのマイナス面は現実で生じるだろう。そのマイナス面を「やり甲斐」とか「生き甲斐」と総称する。これらの言葉をプラスの意味に受け取っている人が多いようだけれど、希望的観測であり、悪くはない。
【仕事をきかれたら「無職です」と答える】
四十七歳までは国家公務員だった。その後も作家業は続けているけれど、最近では、尋ねられたり、書類に記入するとき、「無職」と答えている。なにしろ、ほとんどなにもしていないのだから正直なところである。
「働く」といえるのは、奥様からの依頼で掃除とか、なにかの修理とか、屋根の上でブロアをかけたり、ペンキを塗ったり、ホースをつないだりくらい。終わったときには「ああ、仕事をしたなあ」という達成感が味わえる。特製ジュースくらいが報酬だ。
犬のシャンプーや落葉掃除、あるいは除雪なども僕の役目と決まっている。これら定例の「仕事」は、前述した「遊び」の合間に行う。さらに、その遊びと仕事の僅かな合間で、こんなとりとめもない文章を書いている。

文:森博嗣
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