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五大老と五奉行の上下関係に疑問符!? 実は五奉行の方がエラかった!(前編)

歴史研究最前線!#003

■簡単な上下関係ではない? 五奉行・五大老の格

徳川家康・前田利家・小早川隆景・浅野長政・石田三成・増田長盛/国立国会図書館蔵、上杉景勝/都立中央図書館特別文庫室蔵

 関ヶ原合戦を語るうえで重要なことは、五大老と五奉行の存在である。通説では、五大老と五奉行がどのように認識されているのだろうか。
 五大老のメンバーは、最初は徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景の5名だった。慶長2年(1597)6月に小早川隆景が没すると、上杉景勝が代わりに五大老に加わった。慶長4年閏3月に前田利家が死去すると、嫡男の利長が跡を継いで加わった。こうして五大老の面々が固定化する。
 五奉行のメンバーは、最初から前田玄以、浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家の5名で構成されていた。
 五大老や五奉行が設置された理由は、秀吉の病に伴って、後継者である幼い秀頼をサポートする必要が生じたからだった。とはいいながらも、五大老と五奉行については、巷間ではいささかの誤解があるようだ。

 いささか古い説によると、格上の五大老が豊臣政権の中枢を担い、格下の五奉行がその下で実務を担当したようになっている。五大老は数十万石の大名なので格上、五奉行は数万石から十数万石程度の大名なので格下、という考え方になろう。ごく普通に考えると、所領規模や動員できる軍勢を考慮すれば、そのような印象を持つのはいたしかたない。
 ところが、最新の研究では、五大老が格上で五奉行が格下という見解に異議が唱えられている。そのカギを握るのは、五大老と五奉行の職務上の役割になろう。その前に、まず五大老と五奉行の呼称について考えておきたい。
 五大老、五奉行という呼称は、そもそも江戸時代以降に用いられた一般的な名称に過ぎない。当時、五大老は「奉行」、五奉行は「年寄」と呼ばれていたと指摘し、通説に異議を唱えたのが阿部勝則氏の研究である(阿部:1989)。
 「年寄」は「宿老」とも称され、大名家の重臣に相当した。一方、「奉行」はそれよりも一段低く、上位者の命令を執行する立場にあった。「年寄」のほうが、「奉行」よりも一段高い存在だったといえる。阿部氏の指摘に従えば、これまでのイメージが覆る。
 阿部氏の研究を批判したのが、堀越祐一氏である(堀越:2016)。堀越氏は五奉行を「年寄」とする史料が存在する一方、あるときは「奉行」とする史料も数多く確認できたという注目すべき事実を指摘した。したがって、阿部氏によって指摘されたことは、決して正しいとは言えなくなったのである。では、どのような場面で、彼らは「年寄」あるいは「奉行」と呼ばれたのだろうか。
 石田三成ら五奉行のメンバーは、五大老のことを「奉行」と呼んでいた。しかも彼ら五奉行は、自分たちのことを決して「奉行」とは呼ばず、自分たちを指して「年寄」と呼んでいた。逆に、家康らの面々は、五大老を決して「奉行」と呼ぶことはなく、五奉行のことは「奉行」と呼んでいた。そして、五奉行のことを決して「年寄」と呼ばなかったことが明らかになっている。

 つまり、家康ら五大老は三成らが「年寄」であるとは認めておらず、自分たちが「奉行」であるとは思いもしなかっただろう。五大老にとって、三成ら五奉行は格下の存在に過ぎなかった。
 一方、三成ら五奉行は、相対的に自分たちの方が身分の高い「年寄」であることを自認し、家康ら五大老を「奉行」と呼んでいたのである。それは、五奉行こそが豊臣家の重臣たる「年寄」であることを強調し、家康ら五大老は秀頼に仕える「奉行」に過ぎなかったことを示したかったと考えられる。
 結論を言えば、「年寄」あるいは「奉行」という呼称は、それぞれの政治的な立場を自認して用いられたと指摘されている。

                               (続く)

【主要参考文献】
阿部勝則「豊臣五大老・五奉行についての一考察」(『史苑』49巻2号、1989年)
堀越祐一『豊臣政権の権力構造』(吉川弘文館、2016年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか―一次史料が語る天下分け目の真実―』(PHP新書、2019年)
 

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渡邊 大門

わたなべ だいもん

1967年生。歴史学者。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。 『本能寺の変に謎はあるのか?』晶文社、『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか』PHP新書、『明智光秀と本能寺の変』ちくま新書、『光秀と信長 本能寺の変に黒幕はいたのか』草思社文庫など著書多数。


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