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教員にとって『標準授業時数』見直しは、吉か凶か?

【第13回】学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

■課題解決は現場への丸投げにならないだろうか

 新学習指導要領で増えるのは、英語ばかりではない。プログラミングの時間も増えるし、ほかの教科の内容も濃くなる。これまでの授業時間では足りないことは目に見えている。学校としても、標準授業時数を無視した計画をせざるをえないだろう。
 しかし、標準授業時数を掲げておきながら、それと実態があまりにも違いすぎていると、文科省の立場がない。ここらで見直さなければならないだろう、という流れが中教審教育課程部会での標準授業時数の検討スタートである。
 標準授業時数を実際の年間授業時数に近づけていけば乖離は解消されるかもしれないが、それでは標準授業時数を定める意味もないように思える。

 もちろん、授業時数が増えれば教員の負担は大きくなる。働き方改革を求める流れには逆行することになってしまう。そこは、中教審の教育課程部会も自覚しているはずである。標準授業時間を無制限に増やしたら、教員の働き方改革の側面からだけでなく、「詰め込み」と批判されかねないからだ。

 教育課程部会の部会長である天笠茂・千葉大学特任教授は、2月5日の会合で次のように述べている。

「いま、改めて問われているのは、授業の質的な改善と授業時数の在り方だ。授業の質的な改善に授業時数がどう関わっていくか。働き方改革や小学校高学年の教科担任制を踏まえ、授業担当者の持ちコマの問題も検討すべき事項だろう」

 授業時数を増やさなくていいように教員に授業改善を求める、ということかもしれないが、それは教員、現場への「丸投げ」になる可能性が高い。

 標準授業時数がどうなろうとも、授業内容が増えれば教員の負担は大きくなるしかない。
 とはいえ、学校としても標準授業時数を完全に無視して年間総授業時数の計画を立てるわけにもいかない。もっとも、年間授業時数を大幅に増やすことは物理的にも無理なところがある。それこそ夏休みや冬休みを完全廃止するなら可能かもしれないが、子どもたちや保護者からの大反対をうけることになる。そんなことを、学校がやるわけもないし、やりたくもない。
 だいいち夏休みを廃止するなんてことは、文科省が働き方改革の目玉としている「1年単位の変形労働時間制」の実施が名目的にもできなくなってしまう

 残業も具体的に減らさない上に残業代も出さないことを確認しただけの給特法改正で、「休みは暇な夏休みなどにまとめてとってもらう」とした変形労働時間制の導入を政府は決めた。
 しかし、夏休みにまとめて休みがとれるのかどうか疑問とされている。それが、残業の強制を正当化しているのも事実だ。夏休みを極端に短くしたり廃止して、まとめて教員が休みをとれなくなってしまえば、政府は大恥をかくことになってしまうだろう。だから、増やした授業時数を夏休みでこなせ、とは積極的には言えない状況なのである。

 そうなると、限られた授業時数のなかで増えた学習指導要領の内容を「効率的」に消化するように教員に求めるしかないのだ。「パソコンやタブレットなどのICT利用で効率的な授業をやれ」と言いだすのだろうが、「言うは易く行うは難し」である。

 標準授業時数の見直しをするのなら、教員の負担軽減になるような見直しを期待したい。ますます負担を重くするような見直しでは、「現実を見ていない」と批判されることになる。

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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