■この年だからな・・・喪失感の咀嚼法

 本当の喪失感は時間をおいてやってくるものだと知った。遊び盛りで懐っこい2匹を日々相手にしていると、余計にキクラゲを思い出す。

 実はキクラゲ、超凶暴で気位が高い女王様気質の猫だった。故人ならぬ故猫を悪く書くのもなんだが、何度となく本気噛みされて、手足がぼんぼんに腫れて穴があいた。関節がズキズキと痛むほどの破壊力。当然、爪も切らせない。友人でも鼻を引っ掛かれた被害者が数名いる。それでもブラッシングは毎朝要求するほどの綺麗好き。高価なフードを好み、ちゅーるなぞでは決して釣られない。冬は布団の中に入り、私の股ぐらで爆睡。そんな暴君というか女帝の下僕として過ごした19年間が、ふとした瞬間に蘇るのだ。絶対に噛まない・抱っこし放題・爪切りたい放題で飼いやすさ満タンなダー&メーがいるからこそ、キクラゲがもういないことを再認識させられる。小さな喪失感の連打で日々が過ぎてゆく。

 喪失感との闘いは長期戦だと思った。闘う必要はないのだが、喪失感を死ぬまで抱えて生きていくのだと覚悟した。亡くなった直後の劇的な喪失感が10段階の10とすれば、やや小さな喪失感がその後も積み重なってゆく。新たに猫を飼っても、決して0にはならない。思いは募るばかりというのが「ペットロス」の実態なのだ。

 ちょうど友人がペットロスの人に最適な事業を始めた。ペットの遺骨を核にして真珠にするというビジネスだ。モニター参加させてもらい、来年あたりにはキクラゲが大粒の真珠になって帰ってくる予定である。「愛しいペットが海の中で自然の力を借りて育つのを待つ」行為は、喪失感を前向きにスイッチするのに役立つ気がする。新入り2匹に真珠化計画。キクラゲの思い出を前向きに昇華していくつもりだ。

 この一連の「キクラゲ・ロス」をきわめて冷静に見守ってくれたのが、我が姉・地獄カレーである。調子が悪くなり始めたときは「毛並みが目に見えて劣化してきたら外出予定をキャンセルしたほうがいいかも」「カロリーエースなら舐めるかも」などのアドバイスもくれたが、「夏までもたないから今のうちに可愛がってあげな」「キクが死んだら、あんたうつ病になるね」「キクの目がサヨナラって言ってる」などの突き放した猛毒コメントも多数あった。

 今思えば、喪失感への準備体操をさせてくれたのだ。同情や憐憫の言葉は言わず、「ちゃんと死を受けいれろ」という導きでもあった。というのも、姉は外猫も含めると7匹を看取ってきた経験がある。幼少期に亡くなった猫もいれば、22年生きて(しかもシンガポールから日本に移住)大往生だった猫もいる。事故死、病死、老衰。想像を絶する喪失感を何度も味わっているので、いわば喪失感のパイセンだ。

 私は周囲に弱音を吐きまくったが、姉は愛猫の死に慣れているせいか、人知れず喪失感を噛みしめるタイプだ(たぶん話す友達もいない)。それでも姉がずっと多頭飼いを続けているあたりに、喪失感の深さと闇を感じる。人それぞれに喪失感の往なし方がある。悲しみで途方に暮れるだけではない、喪失感の咀嚼法があると知る。

 今後の人生でも、喪失感を経験する予定が目白押しだ。この年だからな。ほどよく往なしていくしかない。