不登校、引きこもり、高校中退…今だから話せる「当時の私が期待していたこと」【沼田和也】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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不登校、引きこもり、高校中退…今だから話せる「当時の私が期待していたこと」【沼田和也】

『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第11回

 健康的な日常は、キキがとつぜん飛べなくなったように、とつぜん崩壊した。わたしはとつぜんひきこもった。キキが2時間の映画のなかで復活したようには、わたしはどうしてもスムーズにリハビリすることができなかった。そんなわたしにとって、家以外の唯一の場所が、あの、なんとなく洗礼を受けた教会だったのである。わたしはそれ以外のすべての世界から逃げるように、教会だけには通った。教会に行けば安らげた、というわけではない。今振り返ればじつに迷惑千万な話であるが、わたしは教会で大人たちに当たり散らした。お祈りの会に出席して、受験シーズンにわざと「わたし以外のみんなが受験に落ちますように」と祈った。中高生向けの礼拝に出ても、わたしは教師役の大人に難癖をつけては困らせた。大人が聖書の話をすれば「聖書にはこうも書いてある。あなたの言っていることは矛盾しているではないか」と難詰した。そのうち「みんなが怖がるから、もう中高生のクラスには来ないで欲しい」と言われた。寂しかった。それでもわたしは大人たちに混じって礼拝には出席し続けた。

 そんななかで、わたしのことを気にしてくれている神学生がいた。彼はある日、聖書を読むよう勧めてくれた。と言っても、分厚い聖書ぜんぶを通読しなさいと言ったのではない。そのなかの一部を挙げたのだ。彼は言った。

「ヨブ記を読んでごらん」

 わたしはヨブ記を開いた。そこには、わたしが今まで八つ当たりしていた、仮想敵の「清く正しいキリスト教」とはぜんぜん違う世界が広がっていた。

 

 ’なぜ、わたしは母の胎にいるうちに 死んでしまわなかったのか。 せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。 ‘ヨブ記 3:11 新共同訳(以下、引用される翻訳は同じ)

 

 生きながら殺されているようなものだという、自分自身と世界への、そして神への怒りに満ちていたわたしにとって、この言葉はまさに、わたしの言葉だった。聖書の言葉が「ありがたい聖典」ではなくて、ボロボロになったわたしの、醜いわたしの、そういうぜんぶをひっくるめたわたしの言葉になった瞬間だった。

 ヨブ記において、ヨブはさんざん不条理な不幸に見舞われた後、重い病気に罹ってしまう。友人たちはヨブの現状に対して、あれこれ理屈をつけて説明しようとする。それは、わたしたちが理不尽な不幸の当事者に出遭ったときに、慰めようとして思わず不用意な言葉を発してしまい、かえって当事者を傷つけてしまう現象と似ている。わたしたちは説明ができない不幸を受け容れられない。だから無理にでも説明したくなってしまう。その「説明したがり」という性(さが)が、不幸の渦中にある人をさらに傷つけるのである。だから、そんな周囲の人たちに対するヨブの言葉は、現代でもリアルに響く。

 

 ’黙ってくれ、わたしに話させてくれ。 どんなことがふりかかって来てもよい。 ‘ヨブ記 13:13

 

 ’どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。 聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。 ‘ヨブ記 21:2

 

  

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沼田和也

ぬまた かずや

牧師・著述家

日本基督教団 牧師。1972年、兵庫県神戸市生まれ。高校を中退、引きこもる。その後、大検を経て受験浪人中、1995年、灘区にて阪神淡路大震災に遭遇。かろうじて入った大学も中退、再び引きこもるなどの紆余曲折を経た1998年、関西学院大学神学部に入学。2004年、同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。そして伝道者の道へ。しかし2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院する。現在は東京都の小さな教会で再び牧師をしている。ツイッターは@numatakazuya)

 

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  • 沼田 和也
  • 2021.05.31