■後妻の義祖母に気をつかい、ミシミシいうボロ家で極貧生活

 

 実は、私、子どもの頃、超貧乏だったのです。

 それで、貧乏に対するトラウマがありまして……。

 というわけで、子ども時代について、少し書きたいと思います。

 私が生まれ育ったのは、東北地方は岩手県のスポーツが盛んな小さな町。山と海が近くにある自然豊かな場所でした。山ではカブトムシを採ったり、かくれんぼしたり。海では泳ぐほかに、貝殻拾いをして夕暮れまで過ごしたり。

 毎日外に出て遊ぶ活溌な女の子で、習い事も、ピアノ、英語、スキー教室、水泳教室、ミニバスケットボールと、たくさんしていました。

 習い事を多くしていたと書くと、裕福な家庭だと思われるかもしれません。でも、実は裕福とは正反対の家庭環境でした。

 原因は、両親の浪費癖がとても強かったこと。お酒や煙草を毎日購入し、何を買うにもカード払い。

 毎月、給料日一週間前になると金欠になり、両親はお金のことで大ゲンカ。ついには、両親のイライラが、私や姉弟にまで飛んできます。ウカウカしていると八つ当たりされるので、家にいるのは苦痛そのもの。逃げ出せ~状態でした。

 しかも!!! 私が中学2年の時には、父が勤めていた会社を突然辞めちゃったんです。

 当然、住んでいた家の住宅のローンは支払えなくなり、突然引っ越すことに……。

 で、引越し先はというと!? そこは、父の義母が住む家。

 私から見ると祖母にあたりますが、その祖母というのは父の実母が亡くなった後に祖父(父の実父)が迎えた後妻なので、父とは血の繋がりがありません。そのため、関係も良いものではありませんでした。

 子どもながらに疎遠であることに気づいていたので、同じ屋根の下で住むのは正直イヤでしたね。

 しかも、その家は、トタン屋根の狭く古い木造家屋。しかも私たちが住むことになった2階は、ボールを置くとコロコロと転がっていくほど斜めっていました。床は歩くとミシミシ軋むし、スリッパを履かないと歩けないほど。

 そう、いわゆる“汚屋敷”なんです~っ。

 ね? イヤでしょ!?

 なのにね、そのおばあちゃんには気を使わなきゃならないの。

 料理するでも、トイレやお風呂に入るでも、おばあちゃんのいる一階に降りて行かなきゃなので、なんとなくビクビク。これもまた、日常生活を送る上では、とても不便なものでした。

 こんな経験から、貧乏がイヤになり、貧しさから脱出したいと思うようになったんです。

 とはいえ、当時はまだ岩手から出ようとまでは思っていませんでした。上京しようと思った直接のきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災です。

 家は高台だったため、自宅は無事でしたが、周りは甚大な被害。半壊と全壊の建物が並んでいました。

 そのような風景の中で、日常生活も通常通りには送れなくなりました。

 1番困ったのは飲食です。買いたくても販売している場所もないし、そもそも自宅には普段から“ストック”というものがなかったため、2日もすればすっからかん。

 だから、食べ物は、1日に1食オンリー。といっても、ちゃんとした食事は摂れず、菓子パンやお菓子でお腹を満たす程度。水でさえ、1日500mlくらいしか採れない日々が続きました。

 それもまたトラウマとなり、今でも、冷蔵庫の中には常に1週間分くらいの飲み物と保存食を入れています。

 だから、YouTubeでも保存食の大切さを伝えたくて、緊急時に用意しておくべきものの動画をアップしたんですよ。

 ちょっと話がずれましたが、この被災中の約45日間、私は夢も目標もなく、ただ悶々と毎日を過ごしていました。そして「このままでは前進がない」と漠然と思うようになって、生活が落ち着いてきた頃、私は大学入学と上京を決意決したのです。

 でも今思えば、この頃から私の人生は少しずつ変わり始めていたのかもしれませんね。再就職先が見つからず、貯金もどんどんなくななっていった私は、あの頃のトラウマに背中を押され、例の面談から約3週間後、チャットレディとしてデビューすることになったんです。