■実質的な「親」の不在

 ここまでは、児童養護施設での生活も家庭と変わらないように見えます。

 しかし決定的な違いは、一緒に生活する人々の立場です。一緒に生活する大人は自分の「親」ではなく、一緒に生活する子どもたちは「兄弟姉妹」ではありません。

 施設では多くの場合、年齢層などに応じて子どもたちをいくつかの「家」に分けます。そしてひとつの「家」を、複数の職員で担当することになります。

 職員の方も24時間365日「家」にいるわけではなく、子どもを見る時間を宿直などで分担します。職員の方にも、自分の家庭があります。現実問題として施設の子どもたちの親そのものではない。これだけはどうにもできません。

 ひとつの家にはだいたい5人くらいの子どもが住んでいます。その中には、場合によっては血のつながった兄弟がいる場合もありますが、基本的にはみんな別々の両親のもとで生まれ、施設に預けられた子どもたちです。

 私が直接お会いした職員の方が共通して大切にされていたのが、「子どもと一対一で過ごす時間」でした。ある職員の方は、「毎日寝る前に30分、子どもたち一人一人と個別の時間を取り、ゆったりとその日にあったことなどを聞く時間をとるようにしている」
 と話していました。

「施設を18歳で出るまでの間に、担当職員が変わることは出来るだけ避けたい。大人になって遊びに来た時にも、戻ってきた温かさを感じてもらいたいという気持ちから、出来るだけ長い年月、施設に勤めたいと思っている」
 と語って下さった職員の方もいました。このように子どもたちの生活、成長を最優先に考える仕事への態度には胸を打たれます。

 子どもたちが寝るまで彼らを見守り、その後も翌日のために準備をする。短い睡眠を取り、翌日も早朝から子どもたちを支え続ける。なかには施設に住み込みで職務に従事されているケースもあります。間違いなく、負担が大きい業務です。

 しかしそれでも、「親」になることはできません。

 第1章でも触れましたが、なかには愛着障害に陥ってしまう子どももいます。ここでの「愛着」とは私たちが普段使うものとは異なり、心理学の用語として人間や動物同士の情緒的な結びつきを指し示しています。そのような結びつきを親と形成することができなかった場合には、後々社会に出た時に対人関係や精神面でつらい思いを経験するケースも多くあります。彼らは、人見知りが激しくなってしまったり、新しい場所や環境になかなか適応できない傾向も強く、不登校になる例も多いそうです。

 これらすべてが親の不在によるものとは言えませんが、ひとつの要因になっている可能性があります。

 愛着の基盤をつくっていくことはとても難しい作業だと言われています。幼少期に必要なものは、やはり親という不動の存在が与える安心感なのです。

 もちろん親も24時間365日子どもを見てあげられるわけではありませんが、「帰ってきた時にいつも同じ人が待っていてくれる」「自分にはいつもこの人がついていてくれる」という安心感は、どうしても施設では養いきれないものでしょう。

 不動の存在を求めているのに、相手がどうしても動いてしまう。そういった経験を重ねると、子どもは次第に諦めていくのだそうです。求めること自体が徐々になくなることは、成長してからの自己肯定感の低さに直結します。

 自分だけを見てくれる、自分の話になんでも耳を傾けてくれる、何よりも自分を愛してくれる、親という存在がどれだけ大きいものか。当たり前のように親に育てられた私も含む多くの人にとって、この不在はなかなか想像がつきにくいものだと思います。

 また「親子」は、ひとつの人間関係です。子どもは親元で成長することで、生まれてはじめての人間関係を学んでいくのです。

 子どもにとって親は、安心感を与えてくれる存在であると同時に、育つ過程で接する一人の「人間」です。一人の人間ですから当然、「オフ」の状態もありますし、時には「疲れた」と横になることもあります。悲しいこともあれば悩むこともある。子どもはそうやって、いろんな感情と共に生きている「人間の姿」を実際に目にしながら成長していくものだと思います。

 その点、施設の子どもたちが接する職員の方は、常に「仕事」中です。子どもと接するときもプライベートな時間ではなく、あくまでも仕事として行動しています。常に「オン」の状態でいなければなりません。

 ですからその辺りの機微は、施設ではどうしても養いづらい点だといえます。