樹木さんは、以前、朝日新聞のインタビューに幼少期のことを振り返っています。

〈私の小学校時代を知っている人たちは「あの子が女優? まさかね」と、さぞ驚いたことと思います。だって、多くの人は私の声も聞いたことがないんですよ。いつも懐手をして、ほとんど口を利かない子だったんです。学校では、みんながいるところから、少し隙間を空けて立っている子でした。端っこから、周囲の人間をよく見ていました。(2018年5月10日 朝日新聞朝刊 『語る 人生の贈りもの』から)〉

 

樹木さんの小学校時代のエピソードがあります。

〈私は何だかモサーッとしていて、運動会でもいつもビリでした。だから6年生の水泳大会ではクロールや平泳ぎじゃなく、「歩き競争」というのに出たの。そんな種目に出る上級生は私だけ。あとは小さな低学年の子たちでした。そんなわけでタッタタッタと歩いていたら、あっという間にゴールして1等賞になっちゃった。そしたら、賞品がね、他の種目と同じなのよ。周りの6年生が「なんだ、こいつ。ずるい」と不平を言ってるのが聞こえました。たぶんこの時、他人と比較しても意味がない、ということを覚えたんだと思う。それは今も続いています。(2018年5月10日 朝日新聞朝刊 『語る 人生の贈りもの』から)〉

 

 幼い頃は、「学校に行かない日もあった」という樹木さん。役者を目指したものの、はじめは「全然必要とされない役者だった」とも言います。2015年には、不登校のイベントに参加して、子どもたちに贈った言葉が、反響を呼びました。当事者の視点で不登校や引きこもりについて伝える『不登校新聞』が、次のように講演内容をまとめています。

〈新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わす時、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。
 だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。
 私は小さい時、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。
 それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。
「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。
 ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。
 すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。
 ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。
 私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。
 だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。
 私も全身にがんを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、がんとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。
 無理して、いま死ななくていいじゃない。
 だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。
(2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口/基調講演「私の中の当り前」から)〉

 

 生きづらさを抱える若者たちに寄り添い、メッセージを発信してきた樹木さん。「無力よね」と考え悩みながら、その姿勢は闘病中においても変わりませんでした。

 後日、確認のため電話をしたものの通じず、原稿にしたものを再度ファクスで送ったところ、樹木さんから「何でも好きに使ってください」「ファクスが壊れちゃうから、もう確認もいらないから」と会社に伝言が残っていました。

 表現したいことは全て、あの1枚に出し切った。一連のやりとりからは、樹木さんの、そんな思いが伝わってくるようでした。

 

樹木希林(きき・きりん)
1943年東京生まれ。1961年に文学座に入所。主な出演作は『あん』『海よりもまだ深く』。2018年9月15日死去。享年75歳

(『生きづらさを抱えるきみへ』withnews編集部 より)