「殺したいほど憎みます」ジャニー喜多川、最大の危機と内助の功
最も多くのコンサートをプロデュースした・日本のエンタメ王が逝く
■不世出の天才が抱いた葛藤に思いを馳せる
いわば、現実ではかなうことのない思いを芸能に託し、アイドル発掘に昇華させたのだ。ファンだって、いくら憧れ、応援しても、アイドルと結婚するなど夢のまた夢。そんなアイドルファンと同じ目線を、彼は常に持ち続けることができた。だからこそ、ジャニーズ王国は築かれたのである。
その死をめぐる事務所の公式発表には、こんな一節があった。病院での最期の日々についての描写だ。
「ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました」
そういえば、彼はJr.たちの稽古場に差し入れをするのが好きで、こっそり抜け出してはハンバーガーやスナック菓子をごっそり買い込んできたという。また、嵐の松本潤は当初、ジャニーの顔を知らなかったため「いつも稽古場をキレイにしてくれていたおじさん」がその人であることに驚いたと振り返っている。
そんなエピソードからは「内助の功」という言葉も連想される。実際、公の場に登場することは稀で、顔写真の公開もプロデュース業での実績がギネスに認定されたとき(平成23年)の一度だけだ。裏方にこだわってきた理由は、
「ビートルズの4人の中にサングラスのマネジャーが写ってるのを見て以来、タレントと一緒に写真を撮るのはみっともないと思った」(『スポーツ報知』)
というものだった。
美醜に敏感で、しかも少数派的な嗜好を持つ人の葛藤は想像に難くない。そこを芸能に昇華させ、長年にわたって大衆を楽しませてきたジャニー喜多川。不世出の天才に感謝するばかりである。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)
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『平成の死: 追悼は生きる糧』

鈴木涼美さん(作家・社会学者)推薦!
世界で唯一の「死で読み解く平成史」であり、
「平成に亡くなった著名人への追悼を生きる糧にした奇書」である。
「この本を手にとったあなたは、人一倍、死に関心があるはずだ。そんな本を作った自分は、なおさらである。ではなぜ、死に関心があるかといえば、自分の場合はまず、死によって見えてくるものがあるということが大きい。たとえば、人は誰かの死によって時代を感じる。有名人であれ、身近な人であれ、その死から世の中や自分自身のうつろいを見てとるわけだ。
これが誰かの誕生だとそうもいかない。人が知ることができる誕生はせいぜい、皇族のような超有名人やごく身近な人の子供に限られるからだ。また、そういう人たちがこれから何をなすかもわからない。それよりは、すでに何かをなした人の死のほうが、より多くの時代の風景を見せてくれるのである。
したがって、平成という時代を見たいなら、その時代の死を見つめればいい、と考えた。大活躍した有名人だったり、大騒ぎになった事件だったり。その死を振り返ることで、平成という時代が何だったのか、その本質が浮き彫りにできるはずなのだ。
そして、もうひとつ、死そのものを知りたいというのもある。死が怖かったり、逆に憧れたりするのも、死がよくわからないからでもあるだろう。ただ、人は自分の死を認識することはできず、誰かの死から想像するしかない。それが死を学ぶということだ。
さらにいえば、誰かの死を思うことは自分の生き方をも変える。その人の分まで生きようと決意したり、自分も早く逝きたくなってしまったり、その病気や災害の実態に接して予防策を考えたり。いずれにせよ、死を意識することで、覚悟や準備ができる。死は生のゴールでもあるから、自分が本当はどう生きたいのかという発見にもつながるだろう。それはかけがえのない「糧」ともなるにちがいない。
また、死を思うことで死者との「再会」もできる。在りし日が懐かしく甦ったり、新たな魅力を発見したり。死は終わりではなく、思うことで死者も生き続ける。この本は、そんな愉しさにもあふれているはずだ。それをぜひ、ともに味わってほしい。
死とは何か、平成とは何だったのか。そして、自分とは――。それを探るための旅が、ここから始まる。」(「はじめに」より抜粋)