【人生を変えた闘病、会見、死……逸見政孝とたけし、小林麻央と海老蔵】 | BEST T!MESコラム

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人生を変えた闘病、会見、死……逸見政孝とたけし、小林麻央と海老蔵

昭和から平成へと移りゆく「時代」の風景が見えてくる「平成の死」を振り返る。

■ヤンチャだった男を“家族思いの強く優しい男”へと変えた美女

市川海老蔵と小林麻央

 そういう意味では、小林麻央の死にも似たことがいえる。31歳のとき、人間ドックで乳ガンの可能性を指摘されたが、治療開始が遅れ、平成29年、34歳で他界。幼い子供をふたり残しての無念の最期だった。しかし、その闘病と死は夫であった市川海老蔵に多大な影響を与えることになる。

 恋愛や暴力にまつわるスキャンダルでやんちゃな印象が強かった海老蔵。それを一変させたのが、平成28年6月の会見だった。

「元気になりたい気持ちと、小さい子どものそばにいられない母親の思いは、計り知れない苦しさと闘っていると思います」

 と、妻をいたわり、

「ママが帰ってこないのはなぜ? というクエスチョンがあった長女も会見を見ていると思う。これで理解してくれるのでは……」

 と、子供を気遣う姿は、見る者の胸を揺さぶった。

 その瞬間、海老蔵のイメージは「家族思いの強く優しい男」に上書きされたのだ。と同時に、麻央は助からないのではとも感じた。じつは以前から、彼のスキャンダルは歴史に名を残す男がたどりがちな貴種流離譚のような気がしていたからだ。そういうものには往々にして、悲劇的な(もっぱら女性の)脇役が登場する。古代の英雄・日本武尊が東征の途中、海で嵐に遭遇した際、妻の弟橘媛が入水して窮地を救われたように。麻央もまた、いずれ十三代市川團十郎となる男の壮大な物語のなかで、悲運な死によって彼をひきたてる役割を担っているのではと思われたのである。

 妻を亡くした翌日も、海老蔵は舞台を務め、昼と夜の公演の合間にその死を発表する会見を行なった。婚約会見の際、麻央が「『来世も再来世も一緒にいたい』と言われてとてもうれしかったです」と言ったことに触れ、

「僕は今でもそのつもりです。(闘病中に)その話もしました」

 と、涙ながらに語る姿は見る者を感動させたものだ。

 彼女の人生は短かったが、今後は末永く、歌舞伎界の伝説、いわば英雄物語のヒロインとしても語り継がれるだろう。それもまた、彼女自身がした人生の選択の結果であり、苦しみに耐えて生き抜いたことによる特権だ。

 娘の闘病と死によって、人生が変わった男もいる。児玉清だ。『パネルクイズアタック25』や『週刊ブックレビュー』の司会者として知られていたが、平成13年、木村拓哉の代表作『HERO』に出演したことで俳優として再評価された。じつは50代あたりから芝居への情熱を失っていたため、そのオファーも断るつもりだったという。

 ところが、当時マネージャーをしていた娘から、

「そんなに断ってどうするの。とにかく、世間も泣く子も黙るキムタクさんが出るんだから、目の前を歩くだけでもいいから出なさい!」

 と諭され、出演を決意。じつは彼女、食道から胃のガンを患い、手術をしたものの数ヶ月前に再発していた。ドラマが大ヒットすると「そーら、見なさい」と満足の笑顔を見せたが、それから1年余りのち、36歳で帰らぬ人に。それでも、名優の再生という、大仕事を果たせたのはせめてもの喜びだっただろう。娘の死から半年後、ラジオでこの思い出を明かした児玉は、宇多田ヒカルの歌う『HERO』の主題歌を聴きながら嗚咽した。

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『平成の死: 追悼は生きる糧』

 

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鈴木涼美さん(作家・社会学者)推薦!

世界で唯一の「死で読み解く平成史」であり、

「平成に亡くなった著名人への追悼を生きる糧にした奇書」である。

 

「この本を手にとったあなたは、人一倍、死に関心があるはずだ。そんな本を作った自分は、なおさらである。ではなぜ、死に関心があるかといえば、自分の場合はまず、死によって見えてくるものがあるということが大きい。たとえば、人は誰かの死によって時代を感じる。有名人であれ、身近な人であれ、その死から世の中や自分自身のうつろいを見てとるわけだ。

これが誰かの誕生だとそうもいかない。人が知ることができる誕生はせいぜい、皇族のような超有名人やごく身近な人の子供に限られるからだ。また、そういう人たちがこれから何をなすかもわからない。それよりは、すでに何かをなした人の死のほうが、より多くの時代の風景を見せてくれるのである。

したがって、平成という時代を見たいなら、その時代の死を見つめればいい、と考えた。大活躍した有名人だったり、大騒ぎになった事件だったり。その死を振り返ることで、平成という時代が何だったのか、その本質が浮き彫りにできるはずなのだ。

そして、もうひとつ、死そのものを知りたいというのもある。死が怖かったり、逆に憧れたりするのも、死がよくわからないからでもあるだろう。ただ、人は自分の死を認識することはできず、誰かの死から想像するしかない。それが死を学ぶということだ。

さらにいえば、誰かの死を思うことは自分の生き方をも変える。その人の分まで生きようと決意したり、自分も早く逝きたくなってしまったり、その病気や災害の実態に接して予防策を考えたり。いずれにせよ、死を意識することで、覚悟や準備ができる。死は生のゴールでもあるから、自分が本当はどう生きたいのかという発見にもつながるだろう。それはかけがえのない「糧」ともなるにちがいない。

また、死を思うことで死者との「再会」もできる。在りし日が懐かしく甦ったり、新たな魅力を発見したり。死は終わりではなく、思うことで死者も生き続ける。この本は、そんな愉しさにもあふれているはずだ。それをぜひ、ともに味わってほしい。

死とは何か、平成とは何だったのか。そして、自分とは――。それを探るための旅が、ここから始まる。」(「はじめに」より抜粋)

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  • 薫, 宝泉
  • 2019.04.28