『いだてん』のキーマン、日本人の五輪出場に尽力した男は、冬山のような人物だった? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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『いだてん』のキーマン、日本人の五輪出場に尽力した男は、冬山のような人物だった?

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第57回 ~嘉納治五郎~

 次に、通変星(つうへんせい)・蔵干通変星(ぞうかんつうへんせい)を用いて性格を見ていく。治五郎の持っている星を簡単に円グラフに表すと下記のようになる。

 

 

 知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手​

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 治五郎の性格を簡単に表すと、人脈60%、自立心30%、遊び心10%という結果となった。持っている星の数が多いほどバランスがよく、5つ持っていると「何でも一人でできる人」という意味となる。
 このうち、特に「人脈」「行動力」「知性」は社会生活を送る上で重要な星となるが、治五郎はそのうちの1つ、「人脈」しか持ちあわせていない。社会生活の中では、なかなかのアンバランスである。「人脈」が60%もあるため、人に恵まれ支えてもらっていたのだろう。次から治五郎の性格をより具体的に見ていく。

〇人脈60%(正財2つ)​

 「人脈」はさりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる星。コミュニケーション能力が高い。お金に恵まれる星でもある。「正財(せいざい)」は、手堅い人脈を得ることができ、信頼関係を築ける。
 通変星は5つあるが、その中で最も重要な星は月柱の蔵干通変星で「主星(しゅせい)」と呼び、主に仕事等オフィシャルな部分の性格を表す。その次に重要な星は、日柱の蔵干通変星で「自星(じせい)」と呼び、その人のプライベートな部分の性格を表す。治五郎はこの場所に、いずれも「正財」を持っている。仕事でもプライベートでも人に恵まれたということに加え、オフィシャル面もプライベート面も、コミュニケーション上手で人とうまく信頼関係を築ける、そんな裏表のない性格だったことが読み解ける。
 柔道の父として、厳格なイメージのある治五郎だが、大河ドラマ「いだてん」では、役所広司が、コミュニケーション能力に長け、裏表がなく素直な性格をよく表している。きっとこのように人に好かれる人物だったのだろう。近代オリンピックの創始者で、当時IOCの会長であったクーベルタンからIOC委員への就任を持ち掛けられたのも、治五郎の人脈と人たらしの賜物だろう。

〇自立心30%(比肩2つ)

 自立心を持っている人は、自分の信じた道を突き進み、リーダーシップを持っている。中でも、「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人気質。頑固で負けず嫌い、マイペースであり、強い自立心を持っている。「比肩」を2つも持っていた治五郎はこの性質が相当強まっていたのだろう。かなりのマイペースだったことが予想される。

 治五郎はなぜ柔術に興味を持ち始めたのだろうか。なんのことはない、友達とのけんかに負けたくない!という強い思いからだったそうだ。勉強はよくできた治五郎であるが、腕っぷしはそれほどで、けんかによく負けていた。強い人に勝つためにはどうすればいいのだろう…そう考えたどり着いたのが、柔術であった。しかし、時代は明治。欧米の新しいスポーツや文化が次々と取り入れられ、柔術は古臭いものとして誰もが手をつけなかった。そんな中、治五郎は、「整骨をする者に、柔術の名人が多いと聞く。整骨院をしらみつぶしに探せば、柔術の名人が見つかるだろう」と、整骨院を訪ねて歩いた。そして、様々な師匠を変えながら柔術を習い、「自分なりに柔術を展開しよう」と、1882(明治15)年、下谷北稲荷永昌寺に「講道館」という名の道場を開いた。
「比肩」を持っている治五郎らしい、負けず嫌いとマイペースな一匹狼の性格が柔道を生み出したと言える。大河ドラマ「いだてん」の中でも自分の主張を突き通す真の強い治五郎が見て取れる。

〇遊び心10%(食神)

 遊び心は、生活に遊びを自然に取り入れることができる星。中でも「食神(しょくじん)」は、みんなでカラオケに行ったりお食事をしたりおしゃべりをしたりするのが大好きな星。おおらかで子どもっぽく無邪気な性格でもある。

 治五郎は、学習院教授兼教頭を務めた後、1889(明治22)年から1年4カ月にわたりヨーロッパに派遣され、教育の様子をを視察した。フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、スウェーデン、デンマーク、イギリス、エジプトと巡り、その帰り道、乗り合わせたロシア人海軍士官が長い船旅に退屈したのか、力自慢を始めた。遊び心を持つ治五郎。もちろんこれに参戦し、身体の大きなロシア人士官を相手に「私が押えつければ起き上がれない」と挑発すると、「やってみろ」と言われた。柔術を身に付けていた治五郎。押さえつけると、ロシア人士官はどんなにもがいでも全く起き上がることができない。そこで、相手は立ち合いを挑んだ。ロシア人士官が治五郎の背中を両手で抱え、左右にねじろうとした時、治五郎は腰投げと背負い投げの中間のような技で相手を投げ飛ばした。見ていた観客からは拍手が上がったという。それをきっかけに、治五郎はロシア人士官と仲良くなったと日記に記した。なお、治五郎は相手を投げ飛ばした時、頭から落ちそうになったところを、手をもって支え、怪我しないよう配慮した。これぞ日本の柔道の精神である。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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