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「平成」までの元号の数は?中国より多い日本の元号とそのはじまり

間もなく発表!-平成から新元号へ-第1回 

■今、世界の元号は?

 本家の中国では、清の滅亡(1911年、孫文による辛亥革命)により元号は廃止され、「中華民国元年」(1912年)となりましたが、中華人民共和国はこれを採用せず、現在は西暦を使用しています。ただし、台湾では今でもこれが継続され、今年(2019年)は「中華民国紀元108年」になります。

 この他、ベトナムでも10世紀の中頃から第2次大戦後まで元号が使用されていました。日本で「大正」の元号が決まった際に、ベトナムで1530~1540年まで「大正」の元号が使用されていたことを知っていた歴史小説家の森?外は、新聞紙上で「不調べの至」と、このことを厳しく糾弾しました。

■元号以前は?

  皆様も高校の日本史の授業で習ったことと思いますが、『魏志』倭人伝には、「景初三年」(239年)に、倭国・邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に使者を送ってきたと記されています。この時は、おそらく卑弥呼も、その親書には魏の元号である「景初三年」を用いていたと思われます。ただし、倭国内では、元号ではなく干支が用いられていたようです。埼玉県行田市の稲荷山古墳(5世紀後半)から出土した鉄剣には、「辛亥年」(471年)の記載があり、このことを裏付けています。

 さて、次回は、改元の手続についてお話いたしましょう。

文/宮瀧  交二

 

大東文化大学文学部教授。学術博士。1961年生まれ。埼玉県立博物館主任学芸員を経て現職。大東文化大学のほか東京大学、東京女子大学、早稲田大学等で博物館学を講義。論文「博物館展示の記録化について」(『博物館研究』47-7)により、日本博物館協会・平成25年度棚橋賞を受賞。 監修に『元号と日本人』(プレジデント社)がある。

 

【参考文献】
・宮瀧交二監修『元号と日本人』プレジデント社、2019年。
・所 功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』文春新書、2018年。
・グループSKIT・編 『元号でたどる日本史』PHP文庫、2016年。

〈次回以降の予告〉

第2回 改元はこう行なわれる!

第3回 平成にまつわる話あれこれ

第4回 新元号は…

第5回 元号の将来

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