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江戸時代の“健康インフルエンサー”貝原益軒の教え

中高年の健康作りに参考になる『養生訓』【和食の科学史⑫】

■治療より予防を重んじた貝原益軒

 健康法を説いた養生書も大人気でした。なかでも有名なのが、江戸前期から中期に活躍した貝原益軒(図17)の『養生訓』です。福岡藩に仕える武士の子として生まれた益軒は、幼い頃は体が弱く、学問に明け暮れる日々を送りました。やがて医学、薬学、農学、博物学、さらには教育学に通じた大学者となると、みずからも養生につとめ、84歳のときに『養生訓』を書きました。1713年のことです。

図17 貝原益軒肖像画 聡明で物静かな人柄がうかがえます。益軒は大学者で、50年間に98部、247巻という膨大な書物をあらわしました。貝原家所蔵

『養生訓』は8巻からなり、総論、飲食、茶、喫煙、入浴、薬の服用、高齢者と子どもの世話などのテーマに分かれています。その思想をあえて簡単にまとめると、命あることに感謝しながら、慎み深く生きることこそ人の道であり、その先に無病息災がある、というものです。

 現代の医学知識に照らすと迷信にすぎない記述もありますが、益軒の教えのかなりの部分が、こんにちでも中高年の健康作りにおおいに参考になると考えられます。以下に紹介する益軒の思想は、『養生訓』から抜粋し、要約したものです。

●夕食は簡素にし、旬のものを食べよ

益軒:夜は体を動かす時間帯ではないし、食べたものの消化に時間がかかるから、夕食は控えめにするとよい。とくに味が濃いもの、脂っこいものは体の負担になる。一番よいのは夕食を食べないことだ。

 いたんだものはもとより、季節外れの食材、十分熟していない食材は禁物だ。煮すぎたもの、生煮えのものも良くない。そして、どんなおかずであっても、ご飯よりたくさん食べてはいけない。日本人は大陸の人とくらべて胃腸が弱いので、肉は一食につき一切れ食べれば十分である。

解説:夜遅い時間に食事をすると太りやすいと聞いたことはありませんか。実際には夕食が遅いだけで太るという証拠はなく、脂肪がつくかどうかは、単純に一日のカロリーの摂取量で決まります。しかし益軒が言うように、遅い時間に食べると胃もたれしやすいのは確かです。とくに脂っこいものは、ただでさえ消化に時間がかかるため、寝る前に食べると胃腸の不調につながります。

 旬のものを食べるようすすめているのは、曲直瀬道三や、家康に健康法を伝授した天海僧正と共通しています。旬の時期に、十分に熟したものを適切に調理することで、栄養素を安全に、しっかり摂取できるからですね。

 日本人の体に肉は合わないというのも道三の思想と同じです。科学的なデータはなくても、当時の人は、外国人と同じように肉を食べると体の負担になることを経験から知っていたのでしょう。

●食べるルールを作り、習慣にせよ

益軒:体に良いといわれるものでも、食べ過ぎれば胃腸をそこない、体を壊すもとになる。腹八分目にとどめること。食べる適量を決めておくとよい。

 食後の麺類やデザートは余分の負担になるので、食べたければ食事の量を減らしておけ。食べ過ぎたと思ったら次の食事を抜くか、ごく少量におさえるとよい。

解説:健康的な食生活のキーワード、「腹八分目」が早くも登場しています。生活が豊かになって食を楽しむ時代になると、食べ過ぎによる害が見られるようになりました。現代と重なりますね。食べたいものを食べたいだけ食べていては健康になれない。こんな時代だからこそ自分でルールを決めて、自分の意思で体を良い状態に保つ必要がある。益軒はこう考えていました。

 食後の麺類とは、今でいう「締めのラーメン」でしょうか? 江戸っ子の締めは蕎麦か素麺だったと思われますが、益軒の言葉どおり、麺類やデザートのカロリーは丸々余分ですし、寝る前に食べれば胃がもたれます。食事だけで終わりにすべきでしょう。

 そして、ごちそうを食べた翌日は、たとえ空腹を感じても、「いや、昨日あれだけ食べたのだから、今日はそんなに食べなくてよいはずだ」と考えて、食事の量をおさえる必要があります。

 

●体を動かせ、昼寝はするな

益軒:流れる水は腐らないが、よどんだ水は腐る。人の体も同じで、ずっと同じ姿勢で本を読んだり、いつまでも寝ていると病気になりやすい。こまめに動き、身の回りのことはなるべく自分で行うようにすべきだ。食後に数百歩、静かに歩くのを習慣にせよ。血のめぐりが良くなって消化の助けとなり、健康でいられる。

 昼寝は病気のもとだ。横になるだけでも良くないので、たとえ疲れていても昼寝は短時間にとどめよ。軽い運動をして眠気をやり過ごし、夜は23時から0時のあいだに寝て、朝日とともに起きると良い。

解説:江戸時代には自動車がなかったので、現代とはくらべものにならないほど、よく歩いていたでしょう。それでも益軒が体を動かすよう強くすすめているのは、それ以前の時代から見ると生活が便利になって、買い物一つ取っても近くですむようになったからと考えられます。

 食後に歩く目的は、食事の際のくつろいだ状態から、気持ちと体を穏やかに切りかえて、吸収した栄養を活動のためのエネルギーに変えることにあると思われます。

 長時間の昼寝を禁じたのは睡眠のリズムが乱れるからです。昨今、昼寝の効果が見直されていて、適度に昼寝をすると頭がすっきりし、気持ちがリラックスして、作業の能率が上がるといわれています。しかし、昼寝によって夜の睡眠が浅くなり、生活が不規則になったら体調を崩すもとです。昼寝をするなら30分にとどめ、午後3時には目覚めるようにしましょう。

●長生きできるかは心がけ次第

益軒:人の命は天からの授かりものであるが、たとえ弱く生まれついても養生次第で長生きできる。その一方で、丈夫な体を持っていながら、養生を軽んじたことで早く亡くなる人もいる。金があっても短命では意味がない。

 病気でないときこそ病気のことを思え。健康を過信せず、予防を心がけるべきだ。毎日続ければ養生の道もつらくなくなる。何も努力せずにいて、いざ病気になってから治療を受け、養生するのは大変つらいものだ。

解説:これが『養生訓』の肝にあたる部分で、ひと言でいうと、「予防は治療にまさる」ということです。予防につとめたおかげで病気にならずにすんだ人は、はたから見てもわからず、当の本人すら気づかないのが普通です。そのため、大病が治った人とくらべると世間の注目が集まりません。

 しかし、こういう人は病気に苦しむことなく、のびのびと人生を送ることができます。益軒自身も、高齢になってもどこへでも歩いて出かけ、夜は執筆に精を出しました。最晩年に『養生訓』を書き上げ、みごとに天寿をまっとうしたのです。

(連載第13回へつづく)

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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