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天下取りの鍵は健康長寿〜戦乱の世の食養生〜

戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑧】

■健康維持に心をくだいた毛利元就

 

 この時代は医学も栄養学も未発達でしたが、武将らは経験と知恵を頼りに、体に良い食事を追求しました。曲直瀬道三の実用的な医療がもてはやされたのは、こういう背景があったからです。

 三本の矢の教えで知られる毛利元就は曲直瀬道三と親交を結び、次のような助言をもらっています。

「常の食 四時に順じ 五味を和し 飽に及ばず 又は飢えざれ」

 日常の食事は季節ごとの旬のものを、かたよらないように食べなさい。飽きるほど食べてはいけないし、空腹をがまんするのもよくない、という意味です。四時とは四季のこと、五味は酸味、苦味、甘味、辛味、塩辛味のことです。

 苦労して地位を築いた元就は非常に慎重な性格でした。中国地方のほとんどを治める大大名になっても道三の助言に従い、贅沢せず、旬の食材をバランスよく食べるようつとめました。定番のおかずは瀬戸内海で獲れたイワシなどの小魚と、地元の野菜だったそうです。

 三本の矢の教えは、元就の三人の息子である、跡取りの隆元、吉川家の養子となった元春、小早川家の養子となった隆景に向けたものです。一本の矢が簡単に折れるのに対して、三本まとめると折れにくいことをたとえに、一族の結束を説きました。ただし、矢のくだりは後世の創作のようです。

 元就がとくに心配したのが酒の害でした。元就の祖父、父、兄はいずれも酒量が多く、それぞれ33歳、39歳、24歳で死去しています。そのため元就は酒を飲まず、息子や孫に対しても、少々ならよいが決して飲みすぎないようにと何度もいましめました。

 跡取りの隆元は元就より先に40歳で亡くなってしまいますが、孫の輝元は73歳まで生きて、のちに豊臣秀吉に仕えて五大老の一人となるなど毛利家の存続に力を尽くしました。

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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